つげ義春と1970年代

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 始まりは2010年の『げげげの女房』を再放送で見ていた事でした。朝の連ドラを真面目に見たのは『あまちゃん』が初めてで、その後『半分、青い』の北川悦吏子の才能に感嘆した後は、見るんですがあまりよくはない。

 で再放送をかみさんと夕食後に見るのが日課になり今は『ひよっこ』。

 で『げげげの女房』で水木プロのアシスタントに小峰さん(斎藤工)が出てくるのですが、このモデルがつげ義春。もう一人のアシスタントの倉田君は池上遼一がモデル。

 つげ義春のいい読者ではなかった僕でしたが、やはり『ガロ』を舞台とした活躍は横目で見ていました。「ねじ式」なんてよく分からないなりに文学的漫画、シュールで実存的な漫画として評価していました。そんなに好きではなかったけれどある種文化的なヒーローでしたね。

 『げげげの女房』でつげ義春のその後の経歴を見ると、その前も含めてとても大変な

一生を送って来たのだと知りました。本人の精神的な病気、奥さんのガン、放浪など。その何度かの放浪から戻ってきた時に水木しげると会ってアシスタントになったとか。お金に困ると何度も水木プロで仕事をしていたようです。水木しげるつげ義春に漫画を捨てちゃだめだ、漫画を描いて下さいと言っている漫画もありました。評価していたんですね。

 僕は1980年代に『小説現代』で「つげ義春日記」を読んだ記憶がありますが、晶文社でも『貧困旅行記』が出ていました。

 でどうしてつげ義春について書こうかと思ったか。自分の20代=1970年代のについての追憶と、朝ドラとつげ義春、そして数日前につげ義春がヨーロッパの漫画フェスティバルで特別賞を受賞した記事と写真を見た事。それと『映画秘宝』=洋泉社の廃刊についての記事が僕の中で連動していました。

 洋泉社は映画や音楽のムックでずいぶんと勉強しました。その親会社である宝島社、そしてその親会社である晶文社にもハイブローなサブカル的な本にもずいぶんと教えられました。ディラン詩集、ベンヤミン植草甚一、古川ろっぱ、小林信彦など。

 そんなでタイトルは1970年代にしましたが、80年代も含めて、その一部かも知れませんが、つげ義春の受賞と洋泉社の終わりが同時にメディアに出て個人的な感慨を覚えた訳です。82才のつげ義春の表情が穏やかでほっとしました。つげ義春全集(大全?)22巻も出るようで、他人事ながらうれしい。