グラフィティの興亡

 前項でヒップホップの3アイテムのうち、ブレイク・ダンスはブレイキンとして発展している事が分かった。たぶん言葉の問題があるラップよりも、国境を越えやすい。オリンピックでも優れた体操選手を輩出している日本の若者がこのようなストリート・カルチャーから発したスポーツに向いているのかも知れません。

 3つのうちの最後はグラフィティ。スプレー(エアゾル)によるグラフィティ(落書き)は1980年代には公園の壁や、地下鉄の車両などをキャンバスとして席巻した。その後はそれが禁止され、一方ではキース・へリングが、バスキアなどのグラフィティがアートとしてストリートからギャラリーや美術館で展示されるようになりました。

 二人ともエイズとドラッグで20代後半に亡くなってしまうと言うまさに時代的な、刹那的なアイコンだった。特にバスキアについてはドキュメンタリーやドラマにもなりました。僕はバスキアの絵が好きで、画集を買ったり、映画も見たのですが、その存在自体が自然にストリートとアートの両方にまたがっていて素敵でした。

 さて写真は玄関に飾っている日比野克彦のポスターですが、バスキアの影響が歴然としていて、これはこれでいいのかなと。