メッセージのシンボルとコンテンツ

    石原千秋さんの『誤配で読み解く近代文学』を再読していて、あとがきで気が付いたというか教えられた。

 メッセージは送られた事に意味があって、内容は関係ない。メッセージはシニフィアン=記号。コンテンツはシニフィエ(意味されるもの)。「盗まれた手紙」でも手紙と言う記号に意味がある。そのシニフィエにはふれらていない。想像で王妃の恋人からの手紙だとか、大臣にとって権力を保証するような内容だとか言われているけれど、テキスト(作品)的には内容は不在。あとは手紙をどこに移動して誰が所有するかという点が重要になる。移動は配達とも関連し、やはり「手紙はいつも(どこかに)届けられる(≒移動して所有される)」。 

 そうするとまた『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の映画のエンディングになりますが。亡くなったパパのメッセージをブランコの板の裏に見つけたオスカー。そこのは父トマスからの優しいメッセージが書かれていて、内容は不在どころか満載です。これが「オスカー、見つけたね!」とだけ書かれていれば、やっぱり「メッセージは送られた事に意味があって、内容は関係ない」んだよねと決まりますが、これを商業映画の限界と考えるより、お決まりと考えてあげていいと思います。

 そして『ものすごくうるさくて~』はお祖父ちゃんの「出さなかったり、届かなかった手紙」のも例もあるので、「誤配」の意味もふくめてまた検討します。