『グロリア』カサヴェテス夫妻の離れ業

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1989年に59才でなくなったジョン・カサヴェテスというギリシャ系のニューヨーク・インディーズの監督がいました。『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)でミア・ファーローの夫役で出ている、細面のクセあのる顔つきの俳優です。カサヴェテスは俳優の出演料で、自分の映画を作っていました。

 最初の映画『アメリカの影』(1959年)は2000ドルで2年間かけて作ったそうです。撮影機材はのちにカサベテスに刺激されたように『ザ・コネクション』(1961年)、『クール・ワールド』(1965年)を撮るシャーリー・クラークに借りたものでした。セットを作る資金がないので機材を街頭に持ち出してロケ撮影を多用した結果、ニューヨークの街の光景が瑞々しく描かれました。

  カサベテスの映画作りは遺作の『ラブ・ストリームズ』(1984年)までインディーズの方法を貫いたんです。唯一ニューヨークを舞台にギャング映画のスタイルを自己流に踏襲する『グロリア』(1980年)が商業的成功を収めました。これはカサベテスがハリウッドに売るために書いた脚本をいやいや自分が監督することになった作品である。

やっと『グロリア』(1980年)の話になります。

グロリアは同じアパートに住む、家族を組織に皆殺しにされ一人生き残った少年の面倒を見ることになる。組織の秘密を父親から託された少年を保護することは、グロリアにとって組織と敵対することを意味する。しかしグロリアの敵である『組織』はカサベテスにとって『体制』のメタファーでもある。組織に一人で戦いを挑むグロリアの姿に、「業界のなかでインディペンデントとして孤独に映画製作に挑むカサベテスの姿がうかがえる」とある批評家が指摘したように、カサベテスは最後まで自分のフィルムにアウトサイダーのヴィジョンを刻み付ける。

 面白いのは、美人でも若くもないグロリアと、かわいげのない少年のフィルが次第に仲間として打ち解けて、掛けがえのない存在になっていくのを見ている観客の僕らも同じような気持ちの変化をたどるんですね。

 いやいや預かった可愛げのない少年との逃避行をはじめるグロリアは、ショーガール上がりの組織のボスの情婦だったこともあるようだ。どのレベルのボスかは分かりませんが、けっこう上の方。ニューヨーク市内のタクシー、地下鉄、バスを利用しての逃避行がリアルに描かれます。

 グロリアを演じる50才のジーナ・ローランズの水商売上がりのような姉御肌がかっこういい。決して最初から人が良くて他人の子供を預かる訳ではない。いや嫌なのですが、断るわけでもない。引きうけたら、面倒を見る。

 途中で、銃を使って追っ手を退け、建物の前でタクシーを呼ぶときの、グロリアの引き返すことのできない決断を表現するようなビル・コンティの音楽が格好のいい。ちなみにビル・コンティは『ロッキー』や『ベスト・キッド』で有名。

 ラストもいちおうハッピー・エンドで後味がいいです。でも本当にグロリア姉さんのタフで、ハードボイルドで、でも優しいところもある役柄を演じるジーナ・ローランズいいです。ウディ・アレンの『私の中のもうひとりの私』(1989年)では哲学を教える大学教授なのですから、役を演じ分ける演技力は申し分ないか。それとカサヴェテスの公私にパートナーという点でも微笑ましい。

 写真は『グロリア』撮影中のスナップ。