現実を名指し、世界をつなぎとめる言葉

   昨日の朝刊に出ていた哲学者の国分一郎さんのインタビューから。

 「我々と世界をつなぎとめているのは言葉である。だから言葉が実際に起こっていることを名指さないようになると、我々は世界とのつながりを失ってしまう。」

 首相は説明できない人だった。言葉を持たないから説明できない。繰り返し書いているけれど、例の学術会議の任命拒否においても「説明できない事もあるんですよ」と正しい事を言っているつもりで発言したのをテレビで見ましたが、明らかに間違っていた。説明したいけど、そのための言葉は用意しているけれど、ある事情があって説明でいきないことはある。でもその場合はなぜ説明できないかまで考える必要がある。

 言葉で考える習慣がない人なので、言葉を軽視しているのだと思います。本人はそのようなつもりはないと言うでしょう。言葉を軽視しているうちに、言葉は壊れてしまう。「応募はしていないけれど、募った」と前の首相はいったけれど、官房長官時代の現首相は「門前払い」で知られていました。つまり前から説明をしない人だった。

そして「自宅療養」は本来なら「病院で治療を受けた人が、自宅で療養できる程度に回復した」場合のはずでですが、今の政府は「本来なら入院すべきなのに、病院の空きベッドがないので自宅に留め置かれる」状態を指す言葉に勝手に意味を変えて使っています。

 それとついに何の議論も説明もなく実施してしまった五輪について「安心・安全」と言い続けましたが、僕は

この言葉がいろんな人によって使われている間、何と舌足らずで、言葉の正確さも美しさもない表現だなぁと嘆息していました。たぶん「安全をこころがけて実施し、安心して参加できる五輪」というような意味合いで使ったのでしょうが、あまりにも言葉について無感覚で幼稚なものだと思います。なにか工事現場の看板にでも使われそうな言葉で恥ずかしかった。センスのいい表現を期待しているわけではなく、最低限、誠実な心根が伺える言葉遣いでもいいんだけどね。

 と言う訳で、しばらくは五輪を巡るとてもいごごちの悪い言語空間にいました。昨日ここまで書いて寝かせておいた。すると朝刊で天草局長という顔写真ではテンガロン・ハットに黒メガネと異形の外見の人のコラムが参考になった。

 「真実の声は小さい。真摯に説明すれば、言葉は複雑になる。あたりまえである。世界が複雑なのだ。」

 この複雑な世界を理解して、ちゃんと言葉にしようとすれば複雑にならざるをえない。ちゃんと理解していないから、その言葉は粗雑になってしまう。その粗雑な言葉は、人に届かない。届かない言葉を与えられて、人はその意味を問うと、「説明できないこともあるんです」と声を荒げる。本当に言葉で説明できない事もあります。でも声を荒げて言う場合は違うかな。自分の言葉の稚拙さに気付いているか、問い直されることになれていないか。後者の可能性が大きいかなと思います。為政者の傲慢。言葉の幼稚化。

  写真はほっこりと。生協近くの花屋さんで買ったナスの苗からこんな大きなナスが5~6個なりました。ミニトマトと並べると巨大と言っていいほど。

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