empathyとsympathy

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 『他者の靴を履く――アナ―キック・エンパシーのすすめ』というブレイディみかこさんの本の書評を読んでの感想です。

 まずここで元英語教師の血というか疑問というか、定義の確認をしたくなります。とりあえず手元にあるConcise Oxford Dictionaryでempathyについて。「他者の感情を理解し共感する能力」。ついでにケンブリッジ版では「他者の感情や経験を想像して共有する能力」。

 そして比較としてsympathyの方。「他者の不幸に対して、悲しみや憐れみを感じる事」(オックスフォード)。「他者の苦痛を理解して配慮する事」(ケンブリッジ)。

 そしてempathyには「共感」、sympathyには「同情」という訳語が適用されることが多いようです。Sympathが「共感」とされる例もありますが。とするとempathyにはabilityという言葉が定義に含まれるので、「能力」が関わり、sympathyにはそれがないので、自然にわきでる「感情」という風になりそうです。

  そしてもう少ししつこく?調べると。empathyとsympathyの共通するpathyはpassionと同様に「感情」。em-という接頭辞は「~の中に」、sym-は「ともに」である事を考え合わせると、より相手の感情に入り込むempathyが「共感」、相手の感情に寄り添うsympathyが「同情」になりそうです。「同情」の方は時に少し上から目線の場合もありそうですね。

 そこから書評でも紹介されているように、英国の元首相サッチャーさんの秘書によると、「シンパシーはあったが、エンパシーはなかったと」。そして日本の政治家も同様にエンパシーがないなと。でもエンパシーはなければ、訓練によって身に着けられる。まぁ、ないと気付くようならいいのですが。そしてブレイディさんの言うアナ―キック・エンパシーとは、評者によれば国家に頼らない(≒アナーキー?)国民相互のエンパシーによる助け合いが実現するのではと、なるようです。どうも書評されている本そのものを読まないで、書評だけで感想を書こうとすると難しい。

 最後に題名の「他人の靴を履く」は英語の”put on the shoes of others”の訳で、もちろんその意味は「他人の立場に立ってみる」、「相手の視点から考えてみる」です。少しempathyとは違うような。もう1回冒頭のケンブリッジ版の定義に戻ると、「他者の感情や経験を想像して共有する能力」とありました。この前半部の「他者の感情や経験を想像」が「他人の靴を履く」で、その次のステップがあってempathyになるのではと思いました。

 写真は本とは関係なく?ビル・エバンスの『エンパシー』。エバンス・ファンにはあまり評判のよくないスコット・ラファロ没後のアルバムですが、僕はけっこう好きです。当然のようにベースとのインタープレイの少ない、白っぽいピアノのエバンス。