マリラの気持ちとアンの居場所@第29章

 テレビ版(カナダ)ではマリラはアンがいい事をしても、プロテスタント(長老会派)の教えなのか、つけ上がる?事を恐れるのか、めったに褒めません。解説本などでは「虚栄心」(≒vanity)と説明していましたがうぬぼれと言ってもいいような。または愛おしく思っている気持ちも同様の理由なのかめったに口に出さないような気がします。愛情表現がフランクなアメリカとは違い、英国文化の影響が強いカナダではそうなのか。英国国教会、メソジスト、カトリックなど、それぞれの宗教的教義と関連したマナーや行動規範があると思いますが。

 原作ではマリラは自分の感情をもう少し心のセリフとして地の文で表現していますが、『赤毛のアン』(松本侑子、文春文庫)の第29章「人生の画期的な出来事」を読んで少し驚きました。確かにAn Epoch in Anne’s Life(英語の方の章題)です。第19章で親友ダイアナの家に滞在していた大叔母ミス・バーリーのベッドに間違って飛び乗ったダイアナとアンは、後できちんと謝って許されます。ミス・バーリーは特にアンが気に入って、予定よりも長くアヴォンリーに滞在したのです。

 そのミス・バーリーがシャーロット・タウンの共進会の見学にダイアナとアンを誘ってくれます。プリンス・エドワード島最大の街を馬車で見学したり、音楽会に行ったり楽しい時を過ごし、二人はアヴォンリーに帰る事に。

 見送ったミス・バーリーが「アンのような子どもが、いつも家にいてくれたら、私は、もっと優しい、幸せな女だろうに」(373頁)と思います。ただ風変わりなだけでなく、爽やかな情熱や、率直に感情を表現するところなどが気に入って、アヴォンリーでのバーリー家滞在を延長し、またシャーロット・タウンに招待したミス・バーリーの物語における役割は、アンのキャラクターの評価の強化でしょうか。読者としては「そうか、あんたもアンの良さがわかるよね」と納得します。

 そしてそれだけでなく、たどり着いた我が家でがあのマリラが「あんたが帰ってきてくれて嬉しいよ、本当だよ。あんたがいなくて、寂しくてたまらなかった。こんなに長い四日間は、初めてだったよ」(374頁)と言います。自分のアンへの感情をこんなに素直に表現したのは初めてではないでしょうか。びっくりして、少し?感激した案外うぶな69才の男性読者です。

 この率直なマリラの言葉を聞いたアンの反応が知りたいですが、そこはスルーしているようで、次のセリフでグリーン・ゲイブルが自分の居場所であると事を表明しているのが、ある意味でマリラへの答えになるでしょうか。「とにかくすばらしかったわ。人生の画期的な出来事よ。でも、いちばんすばらしかったのは、家に帰ってきたことよ」。こんなうれしい言葉を聞いたマシューとマリラの反応も知りたいですけれど、それも読者の想像にまかせるという事でしょう。でもそれはそれでいいかも。アンがグリーン・ゲーブルを自分の居場所と確信し、この後の展開でも、それはさらに強まるので、読者は振り返って、この第29章の最後でのアンの言葉の意味をさらに深く理解する事になるから。

 写真は初めての自家製?とうきび。けっこう美味しかったです。

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