モームの流行と衰退と復活?

  『人間の絆』をKindleで上下巻の下の3分1を読んだあたりで河出書房新社の『世界文学全集Ⅱ‐17 モーム』(昭和39年)が見つかった。本棚の端に隠れるようにしていました。Kindleで上下600円×2でしたが、少し暗いところでもipad miniでけっこう読めました。ただディスプレイ上のページを人差し指で繰るのが下手で少しだけイライラします。

 1954年に新潮社から31巻のサマセット・モーム全集が刊行が開始。1959年に来日して1か月も滞在。翌1960年にモーム協会が発足。このあたりの動向からも1950年代が受容と流行のピークだったろうと思います。

 主として『サマセット・モームを読む』(岩波セミナブックスー、2010年)、『モームの謎』(岩波現代文庫、2013年)に拠っていますが、著者の行方昭夫氏は1931年生まれ。大学に入学した時の英語のテキストにモームがかなり取り上げられていたらしい。その20年後の1970年にはまだけっこう残っていたように記憶しています。僕のクラスの英語では高久先生が『ハムレット』を取り上げましたが。後から大学教員となって、英語テキストのリストを見てもモームはあった。でも文学(短編小説など)が使えなくなって、時事的なエッセイなどに移行していく時期だったし。

 さてモームシェークスピア以外にない30巻以上の個人全集が刊行されるくらい人気があったのはなぜか。それは文学的な小説と通俗的な小説の中間に位置していて、比較的読みやすく、適度に文学性や芸術性もあり、物語としても引き付ける。例えばゴーギャンをモデルとした『月と6ペンス』、教養小説的な『人間の絆』など。

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 でも1960年代に起きたカウンター・カルチャーとかポスト・モダン的なパラダイムでは、メタ・フィクション的な小説が研究者だけでなく、普通の読者にも読まれるようになり、モーム的な文学は少し(かなり)流行から外れたように思えます。あ、その前におひざ元のイギリスでは1950年代にジョン・オズボーンやアラン・シリトーのように階級や伝統に不満を持つ「怒れる若者たち」が出てきて、インテリ作家を吹っ飛ばしていました。

 そんな時代に、微温的な人生経験を語るイギリスの作家たちは少数派か。モームに代表されるイギリスの作家の苦いユーモア。人間って感情に動かされ、幸福を求めて不幸になってしまう。その真実を事実と認めてリアルに常識的に時に通俗的に描いているような気がします。

 だいぶ前のブログで、中年になって若い時に好んで読んだアメリカ文学から離れてイギリス文学に親しみを感じるようになったと書いた。チャールズ・ラムの『エリア随筆』についての時だったか。

 最近と言っても2006年ですがモーム協会が復活したようで、モームもブームではありませんが、岩波文庫だけでなく復刊・新刊が出ています。社会も僕のように老年になって、しみじみとか常識に支えられた苦いユーモアとかについて理解できるようになったのだろうか。それとも疲れて、エネルギー溢れる小説にはついていけないのか。それとも元気な新しい小説と読者はちゃんといて、その事を僕が知らないだけなのか。その可能性も大きい。

 でもマイ・ブームとしては、小津安二郎パトリシア・ハイスミス漱石のようにはならないでしょう。

 写真は2017年の映画『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』。『月と6ペンス』はモームが序文で言っているようにゴーギャンの生涯に暗示を受けたけれど、彼の伝記作品ではありません。R・L・スティーヴンソン~中島敦ゴーギャンたちのように南洋の楽園に憧れる人は多いんですね。