チャリング・クロス再訪

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『チャリング・クロス街84番地』(中公文庫、1984年)はヘレン・ハンフ(1916‐97)の84, Charing Cross Road (1970)の翻訳の文庫化です。僕は昔この文庫を読んだのだろうか。原作の書簡体小説を授業で使った事もありました。ご存知の人も多いと思いますが、チャリング・クロスはロンドンにある古書店街です。もちろん神田とは比較にならない1ブロックの半分くらいの横町に古書店が並んでいます。僕がいた遥か昔の1997年には当時関心のあったミステリーの専門店Murder Inc.(殺人株式会社?)という本屋で本を買いました。場所はトラファルガー・スクェアの近く、国立美術館の並びだったような。

 『チャリング・クロス街84番地』はニューヨークの若き女性ライターであるヘレンとロンドンの古書店のフランクとの手紙による本の注文と、それ以外の私的な通信の書簡体小説です。電子メールにはない紙の手紙の時間のかかる、でもその間の心のこもった交流が描かれます。手紙を書いて出す。それが時間をかけて相手に届く。相手はそれを読んで、返事を書く。そんな手続きが生み出す時間と相手への感情のふくらみと言うか豊かさと言うか。

 30代になったばかりの女性にしては英文学に詳しいヘレンの注文はフランクのプロ意識を刺激し、彼女の送った食料品などのプレゼントは戦後のイギリスの物資不足に悩む店のスタッフにとても喜ばれました。彼女のフランクだけでなくほかの店のスタッフへの心遣い・関心は、ニューヨークの生活の中での寂しさから来るのではないか。 

 家族はいない。友だちはいるだろうけれど。幾度となく店のスタッフにロンドンに来る事ように誘われるけれど、お金と旅行嫌いのために行かないでしまった。それも手紙での交流にとどめておこうという無意識の判断によるようにも思われます。手紙でのやり取りを楽しんでいた。合いたいけれど、会わないでおく。

 しかし1968年フランクは急に病気で亡くなり、店も閉店してしまう。訳者の江藤淳があとがきで書いているように、このフランクの突然の死がこの往復書簡集に輪郭を与えたと言えるし、ヘレンは遠いロンドンの古書店に顔も見た事のない友人を求めなければならないほど孤独だったのだろうという指摘も正しいと思う。たぶんずっと文通が続いてヘレンがフランクと会うよりも、ちょっと残酷だけれど物語として、会えなかった、訪ねなかった事の未完の結末が余韻を残すように思えます。

 しかしヘレンはついに1971年チャリング・クロスを訪れます。ちょっと遅かったような。このある種のセンチメンタル・ジャーニーThe Duchess of Bloomsbury Streetに書かれています。これは翻訳がないので、ペーパーでアマゾンに注文しました。「ブルームズベリー」というロンドンの地名はヴァ―ジニア・ウルフと関係があります。彼女の属した文化的な集まりは「ブルームズベリー・グループ」と言われ、ウルフウルフ夫妻、姉のヴァネッサ夫妻、有名な経済学者のケインズやE・M・フォスターなどいます。僕たちもロンドンの西北にあるメイダ・ヴェイルという地区にフラットを決める前に1週間くらいブルームズベリーにほど近いラッセル・スクェアのホテルに滞在していました。

 でもぜ「ブルームズベリー街の公爵夫人」なのかは本が到着してから判明する予定です。『チャリング・クロス街84番地』に話を戻すと、1987年に映画化され、ヘレンをアン・バンクロフト、フランクをアンソニー・ホプキンズが演じています。少しくどい?フランク。舞台では1982年にエレン・バーステインがネダーランダー劇場でヘレンを演じた様です。アン・バンクロフト(『卒業』)とエレン・バーステイン(『エクソシスト』)は何か似た感じですね。ちょっとヘレンには合わないよう気もしますが。ネダーランダーではロック・ミュージカルの『レント』を見た記憶があります。よく考えると、映画でもいいですが、書簡体小説は舞台に合うような気もします。手紙によるインティメートな交流を小さな舞台での朗読で聞きたい気もします。

 最近目の具合が悪いのは、古本のせいだろうか。本棚の、そしてアマゾンで注文する古書のせいかも知れない。前はぜん息なので喉に気を付けたのですが、最近は目に。