Salaam Salaamを聴きながら

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 少しオースターから離れて。

 「『インヴィジブル』の難しさ。」というタイトルで書いていて、けっこうあらすじに時間を取られる。それで中断。

 難しいのは作品だけでない。書評的な文章ならあらすじは軽く、評価の方に重きをというスタンスでいいけれど、このようなブログではあらすじを知らない人の方が多いだろうし、どんな物語か説明しないで作品の評価をしてもチンプンカンプンで面白くないでしょうし。そんな具合であらすじをまとめるのに時間がかかって、本当はどんな作品について書きたいんだけど。

 さて 『闇の中の男』(2008)と『サンセット・パーク』(2010)にはさまれた『インヴィジブル』(2009)の主要な物語は、あの懐かしい青春小説も言える『ムーン・パレス』(1989)と同様に1960年代。その騒乱と輝きにも満ちた時代だ。しかし30年後に書かれた『インヴィジブル』は1960年代の苦い思い出を30年以上かかえている。60をこえた作家の苦さと重さでもあるのだろう。

 語り手の視点の多さ、登場人物によって書かれた小説の真偽など、人の心や、事件の真実など多くのことが「インヴィジブル」=不可視である事が示唆されている。

 という事でついでに久しぶりに『ムーン・パレス』を読みました。面白い。主人公のフォッグがバイトで老人の話を聞く部分が、長いと言えば長い。重要な充実した語りと言えば言えます。

 きのう届いた『写字室の男』(2014)は・・・。『幻影の書』(2002)を再読しましたが、それなりに面白い。2015年京都大学で開催された全国大会の司会をした時に取り上げられたので読みました。その時の要旨をアーカイブで読みましたが、よく分からない?どうやって司会をしたか。その時は家内と20年ぶりの京都見物をした事の方が記憶に残っています。これから発表に関係のある『ミスター・ヷ―ティゴ』(1994)を読みます。

 少しオースターから離れてのつもりが。

 さて雨の土曜の朝。本田竹広Salaam Salaam(1974)の2曲目のNatural Tranquilityがアルバム・タイトルの「平和」(アラビア語というかイスラムの挨拶の言葉らしい)ともつながって、落ち着きます。その2年前にThis Is Hondaで『スウィング・ジャーナル』誌のジャズ・ディスク大賞を受賞したばかりの20代後半の勢いのある時期のピアノ・ソロなので静かだけれど力がこもっている。この曲を2階で聞いていたら、後で母がいい曲だねと言ったのを覚えています。同じころ大谷会館のホールで本田竹広を聴いた後にエルフィン・ランドに飲みに行った事も。