『麦秋』の爽やかさと疑問

 

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原節子が「紀子」を演じた三部作の2番目『麦秋』。第1作の『晩春』と最後の『東京物語』よりも好きです。『晩春』での寡の父親との関わりについて、エレクトラ・コンプレックス絡みの解釈が多くて少し辟易します。『東京物語』はラストが少し寂しい。その点『麦秋』は家族の別れが前向きでもあって爽やかな印象を持てます。

 疑問の方は前から感じていたのですが、娘が結婚する事で家族が解体するかなぁと思っていました。老夫婦と長男一家、同居する娘。その娘が結婚すると、それをきっかけになのか、経済上やむをえないのか父親の故郷である大和に母親と引っ越します。ま、前から父親の兄に戻って来いとは言われていたけれど。紀子は結婚する相手と転勤先の秋田に引っ越し。相手は兄の病院の部下で、戦死したすぐ上の兄の同級生。寡で小さい娘がいるのだけれど、40才を過ぎた名家の見合い相手よりも、人柄をよく知っている亡き兄の友人の方を選ぶのはおかしくないと。また不在の兄が妹と友人を結びつけたという指摘もありました。納得。

 小津自身には戦死した家族はいませんが、年下の親友である映画監督山中貞夫の投影があるとの見解もあります。それと原節子は次兄を戦死で失くしています。そんな風に戦後は戦争で何か/何者かを失った人がたくさんいたんですね。

 さて娘/妹の結婚で家計/家族の経営が成り立たなくなる話に戻ります。どうも紀子が高給取りで、その収入がないと親はそこに同居できないのかな。兄夫婦と銀座でてんぷらを食べた料金を割り勘にするのですが、その金額もけっこうなものらしい。別な説では病院勤務の長男が自宅で開業する予定。1階を診察室として、2階を一家の住まいとすると、親夫婦はそこには住めなくなる。『東京物語』の長男が東京だけど場末で小さい町医者をやっているのと似た様なものだろうか。そこも1階は診察室。2階の子供部屋が尾道から上京した両親に使ってもらうので、子供は診察室の机で勉強せざるを得なくなる。そんな町医者の庶民的な家庭環境が細かく描かれています。

 さてラスト・シーンはタイトルの「麦秋」に関連します。実家のある大和に引っ込んだ老夫婦は、麦畑の向こうに花嫁行列を見ます。嫁いで秋田にいる紀子を想ったり、自分たちの境遇に控えめに満足したりするラストが、穂が揺れる麦畑の自然の中で癒されます。「まほろば」大和と冒頭で流れたオルゴールの「埴生の宿」が故郷と望郷と今いるところの意味を伝えて。もちろん戦地であった中国の徐州の麦畑のエコーでもあるらしい。

 それとこれは小津研究では常識かも知れないけれど、1980年代からの小津の再評価とビデオの普及、後にはDVD、と映像の細かいテキスト分析はリンクしているのでしょうね。映画が茶の間(居間?)や書斎で繰り返し見る事ができるようになった。 

 写真は紀子(原節子)と兄嫁史子(三宅邦子)。紀子の親友アヤ(淡島千景)とのやりとりがとてもいいのですが、いい写真が見つからない。あの片岡義男も『彼女が演じた役―原節子の戦後主演作を見て考える』(ハヤカワ文庫)で「アヤを演じている淡島千景は、なんというチャーミングな日本女性だろう。なんという有能な、したがって監督にとっては頼りになる、若い女優であることだろう)(179頁)で絶賛しています。そして三宅邦子もその落ち着いた佇まい、硬質な輪郭と柔らかな表情がとてもいいです。二人とも素敵なセーターを着ていますが、エプロンをしているところは男性の視点からの女性の役割なのだろうか。