「今度、はないから」って?

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   朝日新聞鷲田清一による「折々のことば」は1面の記事、「天声人語」と並んでほぼ毎日読んでいて、けっこう悪くないセレクション・紹介だと思っています。参考になる事も多い(と言っていい)。「折々のことば」ってかなり長く続いた「折々のうた」の大岡信が亡くなってからの後継コラムですよね。

 心に響いた時に書けばいいのに、ひねくれているのか今回はちょっとと言う時に書きたくなる。それが昨日の「今度、はないから」。居酒屋で客が帰り際に「また今度」と言ったのに対して、主人が「今度、はないから」と返したらしい。意図は一見の客でも気に入れば「今度」ではなく明日にでも来てくれるし、馴染みの客は黙って通い詰める、と書いています。

 どうですか?ひねくれていると自認する僕よりもひねくれている居酒屋の主人の賢しらな言葉を紹介する哲学者に疑問を持ちました。「今度」という挨拶の何気ない言葉に理屈で対応するかな?ま、この主人が「今度と言わずに明日にでもお出で下さい」と言ったとして、客は「じゃ、明日また来ます」とは言いずらいですよね。

「また今度」と言って別れる恋人たちなんて聞いた事がないってとも書いていますが、恋人たちと居酒屋の客とは違うでしょう。

 「さようなら」も「左様ならば、ここで・・・」と含みを持った言い回しで好きですが、「また今度」も明日とかいついつの予定でと言明しない曖昧さの中での再会を期してという日本的な間というか、さりげなさの表現のような気がしていいと思います。それを「今度、はないから」って何という杓子定規な心の狭い対応なのかなと思ってしまいました。

 百歩譲って「今度と言わずに、ぜひまた近いうちにお出で下さい」という気持ちだとしても、「今度、はないから」って言われたら、こちらも「はい、今度はありません」と答えそう。芯を通そうと思うのなら、言葉遣いにも気を付けないと。

 写真は昨日散歩した住宅街の家の庭でペチュニアとトポスの間に咲いていた白い花。