『フォークナー』 巻頭エッセイ

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   去年の3月に依頼され、6月から半年くらいかけて書いた原稿が雑誌に掲載され,、昨日手元に届きました。『フォークナー』第22号です。フォークナー研究とは無縁の僕に依頼があった理由はまだ謎ですが、いつか関係者に聞いて見ようと思っています。しかしその出版をしていた松柏社がこの号をもって担当を降りるという知らせがありました。もちろん松柏社が会社をやめる訳でも、協会の機関誌『フォークナー』が終わる訳でもありません。

 英語の教科書出版をメインとして、英米文学の文学書の発刊もしている出版社はこの間、文学離れもあってずいぶんと苦労をされています。後者は出版社の文化的貢献としてある意味利益を度外視しての事でもあり、感謝しています。松柏社の社長はニューヨークが好きで、2000年に1980~2000年のニューヨークの文化と文学を検討するシンポジウムを北海道支部がやった時にすぐそれを本にしないかと司会に持ち掛けて、講師の一人である僕もヒップホップ論と黒人映画論を担当して、2001年のニューヨークで後者の原稿を書いていました。

 『フォークナー』の方は社長のお嬢さん(副社長)が担当して、アメリカ文学会の歴代会長のうち二人がそのままフォークナー協会の会長でもあって、僕も面識があります。というかお二人とも北海道支部の会員となって頂いて支部大会の講演やシンポにも参加してもらったり。実は今回の原稿依頼はその辺りかなと。

 この巻の特集「アメリカ文学ミシシッピ川」の執筆者も関西のS内さん、中部支部のN畑さんがいますが、関西のM岡さんは一時釧路の公立大にいて北海道支部会員でもありますが、残念ながら昨年3月に40代で急逝されました。一つの機関誌をみてもいろんな歴史や物語があるとあらためて思いました。

 写真では「アメリカ文学ミシシッピ川」がはっきり見えますが、その下にあるのが僕の書いた「フォークナー/ノワールポストモダン」です。