サヨナラだけが人生だ

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 ノルウェーのサックス奏者ヤン・ガルバレク26才の時のアルバム、Witchi-Tai-To(1973)が好きで時々聞いていますが、タイトル曲ではなく3曲目のHasta siempreと5曲目のDesirelessが気に入っています。

 「アスタ・シエンプレ」はキューバの歌手・作曲家のカルロス・プエブラが1965年に発表した代表作で革命が成功したキューバからカストロと別れて新たな革命を求めてボリビアに旅立ったゲバラに感謝する目的で作曲したものだが、その美しいメロディのために広く知られることになり、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブなどカバーもけっこうあります。Desirelessの方はドン・チェリー作曲。

 カストロゲバラって、大久保利通と西郷を連想させる。大久保利通は暗殺されて、カストロはずっと生き延びましたけれど。残るよりも去る者のほうが潔い?かな。本当は残る方がずっと大変かも知れないけれど。ゲバラは革命成功後すぐにカストロとたもとを別った訳ではなく5年くらいは政権にいて、日本にも来たようです。サルトルボーボワールと会った写真もあります。

 Hasta siempreはスペイン語では「永遠に」という意味で、長いまたは永遠の別れの際に使われるらしい。「またね」ならSee youやAu revoir、Auf Wiedersehe、adios、再見があるし、もう少し長い「さよなら」ではキリスト教の神に関するgoodbye, adieu, vaya con dios かな。スペイン語カソリックの国からか簡単なさよならにもadiosと神が入っています。

 Hasta siempreのhastaはhasta manana(また明日)で聞いた事がある。さて日本語の「さよなら」が「左様ならば、これにてご免」のような言い方の「ば」が取れた言い方。「じゃね」も「それじゃね」、「じゃ」もけっこう使うかな。どんどん省略されるんですね。「左様ならば」がそれまでの会話を打ち切る言葉だとすれば、「そういう事で」と別れの言葉にするのもありかな。

 井伏鱒二が訳した于武陵の「勧酒」の最後のフレーズ「人生足別離」が「サヨナラダケガ人生ダ」。1963年に46才で亡くなった川島雄三。『幕末太陽傳』(1957)で知られています。龍馬を演じた裕次郎のトイレの場面が印象的?その川島の『貸間あり』の中で桂小金治にこの科白を言わせているが、それもそのはず原作が井伏鱒二でした。

 僕は、助監督だった今村昌平の『サヨナラだけが人生だ 映画監督川島雄三の生涯』と脚本を担当した藤本義一の『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』などで、この異才の事を知りました。口をとんがらせた監督の写真が多い。かわいい顔をした青年だけど、世間に異和感を感じ続けた芸術家の表情でもあり。

 20代で大学院に進学したけれど、研究する意欲もなく失恋したり、個人的な疾風怒涛の時代でした。酔っぱらって飲み屋の階段から落ちて救急車で運ばれて頭を6針縫って、そこで暴れたそうで拘置所で目を覚ました事もあり。別な時には円山公園で酔いつぶれて、これはパトカーで運ばれて、親父に怒られました。

 そんな状態で、まだろくにいろんなサヨナラを知っている訳ではありませんでしたが、人生ってうまくいかない事が少し分かってきて、川島雄三の病気や才能や短い人生に何か感じるものがあったのだと。

 昨年親友が急死して、今年は別な友人も亡くなり、コロナという世の中が委縮するような緊急事態が発生して、退職した老人ではありますが、普段よりも逼塞?して暮らしているといろんな「サヨナラ」について考えたり、思い出したりします。

 この杯を受けてくれ  どうかなみなみ注いでくれ 花に嵐のたとえもあるけれど さよならだけが人生だ

 そうだよね。いい時も、悪い時もあるけれど、別れが世の習いなら、今このひと時を飲んで楽しく語ろうという事だと。

 写真はコニャック3兄弟。ポール・ジローとレイモン・ㇻニョーとジャン・フィユー。これを晩酌・夕食後にショットで飲むのがコワい。