この時代に

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 前にビル・ウィザーズとソウルのところでふれた「ニュー・ソウル」は、公民権運動後の新世代の黒人アーティストとして脚光を浴びたマーヴィン・ゲイカーティス・メイフィールドの他にダニー・ㇵサウェ―がいた。このハンサムで知的な黒人ミュージシャンは、傑作を発表して注目を浴びた後、精神を病み自殺とも思われる事故死を遂げました。

 昨日なんとなく1972年のライブを聞いて、珍しく力づけられたような気がします。What’s Goin’ On, The Ghetto, Little Ghetto Boyと時代の黒人の状況を歌いつつ、ジョン・レノンの Jelous Guyもとりあげています。特に聴衆とのやりとりがとてもいい。手拍子のリズムもうまい。You’ve Got a Friendは聴衆も一緒に歌うなどの一体感はなかなかスタジオ録音ではできないですね。

1945年に生まれたダニーは幼い頃から聖歌隊で歌いピアノを学び、後にハワード大学という黒人の学校に進学しクラシックを学んだ。卒業後カーティス・メイフィールドらの下でキャリアを積み、 その音楽教育を受けた音楽スタイルは、従来のシャウトする黒っぽさとは違っていました。でももちろん「ザ・ゲットー」などの曲で黒人社会の問題も取り上げます。

  1973年の『愛と自由を求めて』(Extension Of A Man)の方も有名なんですが、作り過ぎてライブのような高揚感がない。またロバータ・フラックとのアルバム『ロバータ・フラック&ダニー・ㇵザウェー』が全米3位のヒットとなり、フラックとデュエットした「恋はどこに」を受賞した。

ダニ―よりも8才ほど年上のロバータ・フラックは1969年First Takeでデビュー。 1971年のクリント・イーストウッドの初監督映画『恐怖のメロディ』に、First Takeに収録されていた「愛は面影の中に」(The First Time Ever I Saw Your Face)が使用され、ビルボードの1972年年間チャートの1位を記録します。 1973年「やさしく歌って」(Killing Me Softly with His Song)と1974年「愛のためいき」(Feel like Making Love)も全米1位の大ヒット。 ダニーと親交が深く、1972年と1980年にデュエット・アルバムを発表したのに加えて、「恋はどこに」(Where Is the Love)(1972年)。

 ダニーに戻って、映画『ハーレム愚連隊』のサウンド・トラックも手がけます。これはヨーロッパの黒人≒エトランゼでもふれたチェスター・ハイムズの原作で、1970年代後半のブラック・シネマの一環ですね。

 最後にベトナム戦争の時代のマーヴィン・ゲイによるWhat’s Goin’ Onを聞きながら、この新型コロナ・ウィルスの時代の緊急事態宣言や政治の混乱が引き起こす社会の崩壊の予兆(そこまでは行かないか)にも思いをはせて少し不安になりますが、自分の生活自体は退職した老人の非活動的な、読書と音楽と土起こしと散歩なので。

あ、でも担当している科目の履修登録が200名を越したので、筆記試験にしないように大学は要請しているので、レポートにするか、採点がたいへんだろうな、などど。5月からはじまる対面授業でも紙による出欠票の受け渡しはやめようか、出欠はとらないと履修はしても出席する学生はへるので、密度が減っていいかな、など少しは社会ともつながる部分はあります。