やはり授業も延期

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 昨日大学から通知が郵送されてきて、授業は来週水曜から始まるけれど、対面授業は連休明けまで行わないとの事。やっぱりそうか。オンデマンド授業とかリアルタイム配信と対応について各自求められているけれど、基本的には今まで通りレジュメを大学のポータルにアップロードしようと思っています。そのレジュメには、今回独自のあいさつ文を追加して。

 さてしつこいけれどクラーク=ボラーン絡みで。ベースのジミー・ウッドとほぼ同じ年のサヒブ・ハシブというイスラム名の黒人サックス奏者についてです。名前は40年前から知っていたのですが、今回クラーク=ボラーン・ビッグバンドのレギュラー・メンバーとして改めて認識しました。

 多くの人がカシアス・クレイがモハメッド・アリに変わった時に、何でだろうと思ったり、公民権運動の時代のアメリカでの黒人たちがキリスト教を棄ててイスラム教に回心したんだろうと知っていたんですね。

 でこのサヒブ・ハシブはほぼ同じ年のマルコムXよりも先にイスラム名に変えていました。アメリカの人種差別に嫌気がさしてヨーロッパに移住したアーティストの一人でした。でもサヒブ・ハシブは覚えずらい名前でした。でも彼のアルバムを初めてアマゾンで注文。写真を見ると、少し中東の血も入っているようにも見えます。

 アメリカの黒人のイスラム教徒の関係は、アメリカの黒人差別に嫌気がさして改宗したのもありますが、奴隷としての強制移住(誘拐・拉致)の時から、北部アフリカと中東のイスラム教の関係があったようです。そのような下地があったとして、1960年代もしくはそれより少し前から、白人≒キリスト教への反感からイスラム教への改宗が進んでいたんでしょう。

 でもやはり生まれた国から離れて行く事の意味を、行かざるを得ないとしたら、自由のためでも躊躇うかもと考えるのは、比較的安全で能天気に暮らしていける国にずっと生きている暢気な老人のゆえか。

 これも何度も書いていますが、1996年秋から1997年春にかけて8か月間(2学期分の期間です)いたペンシルヴァニア大学のあるフィラデルフィア。ここはニューヨークやワシントンと並んで黒人の人たちの多い都市です。やはり黒人研究者のデュ・ボイスにも『フィラデルフィア・ニグロ』という著書があります。バスに乗ると僕たち夫婦以外全員が黒人という機会もありました。アパートの経営者は白人でしたが、フロントや用務員の人は黒人が多かったです。そうだ、アパートの裏手のコンクリの建物にスカーフ(後からヒシャブと言う名前の被り物と知りますが)をかぶった女性が出入りしていました、たぶんブラック・モズリム(黒人イスラム教徒)の寺院か建物だったと思います。

 北海道第2波とも言われていますが、2月末の緊急事態宣言が解除された直後の結果が今現れているようで、もう一度気を引き締めれば大丈夫(と思いたい)。普段と変わらず読書・テニス・散歩の日々の退職老人としては、気持ちだけでも皆さんに頑張れと言いたい。