ビル・ウィザーズとソウル・ミュージック

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 R&Bの男性歌手ビル・ウィザーズが3月末に82才でなくなった。

 1981年にグローヴァ―・ワシントン・JrのWinelightがよかった。特にビル・ウィザーズの歌うJust Two of Usがシングルで全米2位になったとか。

 その後Ain't No SunsheinやLean on Me Use Me、Grandmother's Handsなどをベスト盤で聞きました。オーティス・レディングほど黒っぽくなく、都会的ではあるけれどソウルフルな歌い手でした。声もいい。

 グローヴァ―・ワシントン・JrのWinelightに戻ると、メンバーがスティーヴ・ガッド、エリック・ゲイル、マーカス・ミラーというそうそうたるミュージシャンたちでした。あまり音楽が好きとは言えない、M先輩も買っていたアルバムでした。

 ソウルの話ができたのは、もうなくなった「こうや」でした。旭が丘高校で生徒会長もやり、教育大の特美を出て(または中退)、第1巻第100章というロック・バンドにいたり、アクトやエルフィンランドのカウンターにもいたこうやさんは、「こうや」を2軒やって60くらいで亡くなってしまいました。

 ソウルのボビー・ウーマックについて教えてくれたり、ラテン・ジャズのラウル・デ・スーザのLPをかけてくれたり、ジョン・トロペイの話ができるのは彼くらいでした。あ、もう一人いました。ある場所で偶然隣に座った町村牧場の社長もジョン・トロペイが好きなようでした。お兄さんは一橋の教授で『越境者たちのロスアンジェルス』を執筆していて、僕も持っています。

  ソウルに話を戻すと、最初に聞いたのがレイ・チャ―ルスのHit the Road, jackだと思います。「旅立てジャック」っていうタイトルも、盲目の黒人歌手も、バック・コーラス(レイ・レッツ?)とのかけあいも新鮮とだった(ように思う)。

 書いているうちに思い出すのですが、「アンディ・ウィリアムズ・ショー」に出ていたリトル・スティーヴィーもハーモニカでの「アルフィー」の演奏がうまかった。のちに「迷信」の入ったtalking Bookでのシンセの使用など画期的だった。

 この60年代の終わり(実際には1970年前後)にニュー・ソウルというマーヴィン・ゲイカーティス・メイフィールド、ダニー・ㇵザウェイ、ロバータ・フラックなど自作自演の音楽的に高度で知的なソウル・ミュージックが台頭しました。公民権運動の結果でもあります。

 アル・グリーンという男性歌手のあっさりした歌唱スタイルと、ミリー・ジャクソンという迫力のある、時に下品な女性歌手もジェンダーの文化的表現として興味深いです。ミリー・ジャクソンはトイレに座っている(しかも下着を下して)ジャケットもあり、日本でのライブでも男性をくすぐるようなトークもあったよう。

 アル・グリーン絡みでは、前に書きましたけれど、ニューヨークに半年滞在した時にアパート探しのために2週間ほどセントラル・パークの西側のアパー・ウェストにあるビーコン・ホテルに泊まっていました。ジョン・レノンが暗殺されたダコタ・ハウスに近い場所です。このホテルに隣接しているのがビーコン・シアターで、ここでアル・グリーンのライブがあったのを後から知りました。この劇場はマーティン・スコセッシ監督がローリング・ストーンズの映画を撮った場所でもあります。

 最後にいま目の前に『200CDブラック・ミュージック』という本を眺めながら書いていますが、サム・クックと高校の同級生で2006年に72才で亡くなったルー・ロウルズについて書かれていないのが少し気の毒です。低音のいい声、というか声のアクが強すぎますが、1989年カナダに4カ月ほどいた時に聞いたAt Last(Blue Note)がジャケットもよく、メンバーもリチャード・ティーコーネル・デュプリースタンリー・タレンタイン、ボビー・ハッチャーソンですから。そしての中のYou Can't Go Homeが耳に残っています。、ジョージ・ベンソン、ギターと絡む歌が、最初のビル・ウィザーズと似ているというレビューもありました。黒人男性歌手の声質もソウルの魅力の一つでしょう。