神田物語

f:id:seiji-honjo:20200403055210j:plain


 30代の時の東京出張はだいたい神田に宿を取った。

 理由は書店・古書店巡りと下町散歩だった。

 神田神保町の北沢書店は英文学の研究者なら誰でも知っているし、東京に行くと一度は行ってみる老舗でした。しかし1902年(明治35年)創業のこの書店は英文学関係のスペースを大幅に減らしてしまったので、もう行っていません。

 それは1898年に創刊された英文学の専門誌『英語青年』が2009年にWebに移行し、2013年に廃刊になったと同時期の、文学離れの時世の流れの結果だった。『英語青年』は28才に北海学園大学の教養部に英語講師として赴任した1980年から30年近く定期購読をしていました。

 その英文学研究にとって重要な場所である北沢書店の並びにあった映画や演劇の専門店矢口書店もよく行きました。

 でもホテルは小川町・須田町方面のグリーン・ホテル淡路町にした事が多い。JRの神田駅から靖国通りを通って神保町に散歩をするコースです。ホテルのすぐそばに昌平橋があって秋葉原が近い事もその頃知りました。

 近くに神田藪があり、甘味処の竹むらがあり、そばのまつやもありました。神田藪は火事になって立て直した後も1回だけ久しぶりに行きました。最初に行った30年前はその小さな庭の植栽、待合のベンチ、女店員・おかみさんの「ありがとうぞんじます。」という声、そして1杯のざるの量が少ないのでお年寄りも最初からざるを2枚頼む事も初めての光景でした。

 竹むらでは粟ぜんざいを初めて食べてみました。建物は写真にあるように歴史的建造物に指定されるような趣のある日本のお店。ま、そんなに立派という訳でもないけれど。まつやも結婚する前のかみさんと行って昼酒を飲んでいたら、かみさんの上司と遭遇した記憶があります。

 靖国通り淡路町~神保町の方面に行くと、スポーツ用品店が多い。駿河台下の交差点を三省堂書店神田本店を左に曲がり、書泉グランデを通り過ぎて古書センターのカレーの店ボンディでジャガイモのお通し付きの欧風もカレーも何度か食べてみました。靖国通りの1本仲通りのさくら通りの冷やし中華で有名な揚子江菜館では焼きそばを食べた記憶が。

 駿河台下の交差点を道なりに右手の方が明治大学のある明大通り、その近くの山の上ホテル池波正太郎山口瞳がエッセイによく泊まったと書いてあって、一度泊まってみたかったです。

 さて靖国通りの矢口書店の向かいに近い神田鶴八も初代が亡くなった後に1回トライしました。狭いカウンターでした。2代目は新橋に店を構えた後に、また神田に戻って来たそうです。

 それが30代から40代前半で、神保町と東京の下町の風情が残っていると言われる庶民的なお店を池波正太郎のエッセイをガイドに通ったのが懐かしいです。

 その後は銀座や新宿、最後は数年新橋の第一ホテルアネックスを準定宿に。ここは便利がいいのと、部屋の机(カウンター)の間口が広く、資料を広げてノート・パソコンで仕事をするのに便利でした。

 新橋ってサラリーマンの行く酒場が多いと言われますが、銀座に近い、浜松町にも、それから藪系の後に挑戦した砂場系の虎の門にも近いので便利です。築地も何回か挑戦しました。ラーメン屋すし屋、そして海苔の丸山にも。

 神田から話がずれてしまいました。新橋~銀座はまた。神田ほどの思い入れはないですが。