クリティカル・シンキング

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 批判的思考とは、文句やケチをつけるのではなく、それが正しいかきちんと検証しながら考える事で、在職中は基礎ゼミなどで新入生に教えていました。

 今回の新型コロナ・ウィルス騒動でも、指導者が取り巻きのイエスマンの言う事を取り入れて、ちゃんとした専門家の意見をきかない、つまり今ある自分の能力や情報へのクリティカル・シンキングができていないので、感染の収束/終息がみえてこない。拡大が増加したように見えないだけで、油断するとどっと増加するかも知れない。

 クリティカル・シンキングのターゲットは、一義的にはほっておくと自己保身とか自己中心的になる自己で、次に自分を取り巻く世界と他者だろうか。目的は相対的な真実。情報や人の知見を参照しつつ自分でも考えて、絶対的ではないけれど、今の時点での正解や正しいと思われる事を見つける。クリティカルな思考とは「これでいいか、もっと正しいと思われる考え方はないか」と持続的に掘り下げる作業の中での現時点での相対的な正解への作業だとおもいます。

 中国のような社会ではクリティカル・シンキングをする者は党の統一的な判断の妨げになるので、排除されたり行方不明になったりしてしまう。いちおう民主主義国家の日本では、クリティカル・シンキングは排除されないまでも、指導者の勝手な嗜好/思考とは相い入れられない。

 指導者の恣意性に関連して、モリカケ問題でも、取り巻きが何らかの利益(出世やお金)を期待して、上司が言う前に忖度するので、上司は都合が悪くなっても自分は直接言葉で指示した訳ではないと逃げられる。つまり忖度した方もされた側にも都合がいい。しかしその際に勝手に(本当は違うけれど)忖度した部下を嫌々でも厳しく罰しないと周りは納得しないようになったらどうするか。日本ではそこまで追求しないんですね。自殺した職員の遺族への言葉だけの同情だけですませ、それをメディアも国民のちょっとねと思いながら、それ以上の関心はない(ように見える)。

 忖度しても上司が守ってくれない、期待するような利益を与えてくれないと、忖度しないようになると思います。つまり忖度したと思われる部下(S局長でしたっけ)が妥当な罰も受けずにのほほんとしているとしたら、自殺したその部下は浮かばれないし、S局長の上司(失言で有名なA大臣でしたっけ)は忖度した内容を実質的に指示した事を認めた事になると思います。その点をメディアはきちんと指摘する必要がある。

 つまりクリティカル・シンキングとは自分に向かって、それでいいのかと問い続ける姿勢でもあると思われます。それでいいのかというのはもちろんそれが自分の利益になるのかどうかではなく、それが人として正しいか、それが自分だけではなく他者のためにもなるのかという事ですね。何も自分の利益をはなから捨てなくてもいい。他者と共存する自分も意識したり重視してもいいと思います。でもそこに他者≒社会の事も同時に考えようとすれば、そんな指導者ならその方針に従っていけると思うんだけどね。

 テーマに関係する写真がないので、基礎ゼミではないけれど、専門ゼミのコンパの写真。すすきのにあったカルロスというスナックでの2次会の写真。ここはゼミ生だけでなく学会のお偉方も連れて行けるちゃんとしたスナックでした。