非常事態における社会と個人

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 昨日、中国系アメリカ人が銃を慌てて購入している映像を見ました。

 トランプが「中国ウィルス」という言葉を発した影響のようです。

 まずアメリカでは銃を所有できる事、大統領が白人低所得者層の怒りを白人以外(ヒスパニック、黒人、アジア系、イスラム系)に向けてかき立てる事で支持を集めている事が基本にあって、今回の新型コロナ・ウィルスの感染被害の元凶をアメリカと対立している中国に求め、それが今度はアメリカ国内にいる中国系の人たちの不安を煽っています。

 ま、原因となった中国の政府の態度も悪いけれど、敵を作り、不安と恐怖をあおって憎悪を作り出す現在のアメリカの大統領のやり方がアメリカ国内の感染恐怖と想定される原因を作った国からの移民をターゲットとしていく可能性と不安があります。

 古くは1992のロスの暴動、9.11以後のイスラム系への暴力、そして2004年のハリケーン・カタリーナでの暴動も思い出されます。日本では起こりえないような暴動や暴力が、その手段と潜在的な不満や不安が火薬として醸成されているアメリカでは、トランプがそこまで考えてはいなくても、というかそこまでの想像力がないので配慮のない発言をし続けているのでしょうが、十分火種として機能する暴力は小規模でも起こりかねない。

 日本でもマナーとか、思いやりとかが昔よりなくなっているなぁと嘆きつつもトイレット・ペーパーを取りあいするような場面やそれが暴力に発展する事件はないでしょうね。

 ただその後、中国系だけでなくアメリカで銃の購入が急増しているという現象もあって、それはそれでスーパーなので必需品を買いあさる、大量に買いためる行為の中で不測の暴力行為や略奪?から自分と家族を守るためらしいけれど、そこで銃が必要な社会の恐ろしさに気づいていない事もまた恐ろしい。感染の拡大への不安は理解できるけれどね。

 そんな不安とは対照的な善きアメリカの黒人ミュージシャン、コールマンとドン・チェリーの2ショット。ドン・チェリーってフォトジェニックなんですね。