オハイオ州@1983

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 ギターのジョン・スコフィールドについて書こうと思いつつ、まとまらないまま彼の経歴を見ていたらオハイオ州デイトンとなっていました。

 オハイオ州つながりで、35年前の初めての外国旅行・語学研修の事が思い出されて。   

 アメリカ中西部オハイオ州で1983年に1か月語学研修に参加しました。場所は州都コロンバスとエリー湖畔のクリーブランドの中間にあるアッシュランドのカレッジ。

 デイトンはコロンバスから西に少し行ったところにあります。デイトンには行かなかったような。1983年はまだ日本に勢いがあったので、日本人留学生が多かったです。その後1996年のフィラデルフィアでは韓国人の留学生が多かった。

 1983年に出発する時に家を建てたばかりの中学時代の友だちDB君の家に集まりました。DB君は実は小学校3・4年でも同級生でした。その時のお祝いと言うか宴会の写真に先日カフェを畳んだY君の夫妻と生まれたばかりの赤ちゃんも写真に写っています。その長男ももう30代後半。一緒に写っているY君の会社時代の友人で僕らの共通の友人になったN君も。彼はのちにすすきのでスナックを開き、そこもうまく行かなくなってやめ、失意のうちに51才で亡くなったしまいました。

 で31歳で初めてアメリカに行った最初の街がサンフランシスコであるのは最近書いた記憶があります。サンフランシスコでは空港近くのサンマテオにある知り合いの家に泊めてもらいました。ソファ・ベッドというのも初めて体験しました。近くの保養地サウサリートにも行ってみたし、市内のユニオン・スクエアのホテルに泊まった夜にケーブル電車のレールのところでトランペットを仕事帰りのミュージシャンが吹いていました。

 サンフランシスコからクリーブランドに飛行機で行って1泊。広くて殺風景なホテルでした。クリーブランドからアッシュランドへは大学の関係者が迎えに来てくれたのかも知れません。寮の部屋に入ったら、先に来ていたインド人の青年が持ち込んだスパイスの匂いが。彼とは同じ部屋で1か月暮らしました。後にも先にも他人と暮らした唯一の経験でした。でも穏やかな人だったので嫌な記憶はありません。日本に帰ってから少し文通したのですが。

 アッシュランドから200キロくらいのクリーブランドを通ってバッファローまで日本人の仲間と数台の車でナイアガラの滝を見に行きました。急に行ったのでホテルの部屋が取れなくて、車で寝たような記憶があります。帰りは運転手が疲れていたので、居眠り運転で危うく事故になりかかりました。実はその後、その時の仲間(偶然にも札幌西高の後輩)がアメリカで交通事故で亡くなりました。

 アッシュランドでの研修を終えて、ニューヨークに数泊。それからロンドンに渡って、大学時代の友人宅に泊めてもらいました。奥さんの同級生なので気が置けなくて居心地がよかったです。その時小さかった息子さんも、ケンブリッジを出て研究者になりました。

 僕はロンドン滞在中にスコットランドに足を延ばし、エジンバラは有名な演劇のフェスティバルで泊まれなくて、近くのフォルカークかスターリングに泊まり、次の目的地のネス湖へ。残念ながらネッシーはいませんでした。その当時はシングル・モルトに関心がなかったので、ウイスキーの蒸留所をめぐる事もなく、ロンドンへ戻りました。

 1997年にかみさんとロンドンに4カ月いた時も、W君が2度目?のイギリス勤務でまたお世話になりました。

 1983年はロンドンからパリに行って、数日後スペインに行く予定がちょっと疲れたので?2ヶ月にわたる最初の海外研修と旅行は終わりました。パリではホテルの部屋にメイドさんがカフェオレとクロワッサンを持って来てくれて驚いた記憶も。

 写真はきのう生協で買ったエニシダ。これも前に載せた記憶がありますが、鮮やかな黄色と葉の緑がこの時期に特にきれいに見えます。