ニュー・シネマとそば味噌

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 次の授業は木曜日は休日なので、土曜の午後になっていました。五輪の関係だろうか、それと決定が遅かったせいなのか、カレンダーや手帳を見ると今年の実際の休日とは違い確認が必要になる。なぜ木曜の授業が土曜になるかというと、半期15回授業を確保せよという文科省命令を順守すべく、しかし曜日によって実施回数のバラツキが出てくるのでその調整のためです。ここ10数年の大学の授業になじみがない人のための説明です。

 さて1960年代の(アメリカン・)ニューシネマを軸に置くとして、もう少し同時代的な幅というか汎用的な知識や情報に敷衍したいというか、その点を少し考えています。簡単に言えば、対抗文化とポスト・モダンと関係づける。これは前の方の授業で少しやりました。オンラインでしたが。それプラスという事で、前の50年代と後の70年代。これはもう昨日ふれました。

 で先ほど、というか布団の中で何となく考えたのは、文学の青春小説、恋愛小説、教養小説、成長小説に例えて解説できそうな気がしました。まぁ、前にも言いましたようにアメリカの場合は教養小説、成長小説ではなくて、反・教養小説、反・成長小説であるのは、このジャンルの映画がアンチ・ヒーロー、非ハッピー・エンディングなのと呼応しています。そんな事を週末はレジュメの原稿の前の前の段階に書き起こせればと思いつつ、早朝テニスの連絡を待っています。

 昨日は夕方自転車で30分ほどかけて手打ち蕎麦の「毘沙門」に到着。5~6キロくらいかな。ちょっと汗をかいたのでビールを注文すると店の奥さんらしい人が「自転車もアルコールはダメなのですが、帰りは押して行って下さい。」と言われ許可が出ました。このビールがおいしかった。卵焼きも出しのきいた甘みのあるタイプですがおいしかった。次にそば味噌が出てきたのですが、お酒がほしいと思っていると、追加のビールが注文もしないのに出てきました。このそば味噌が砕いたナッツの風味と歯ざわりもよくておいしい。

そばは更科がメインで、半人前の田舎そばも追加しました。そばの方はかみさんが追加した10割並粉がよかった。てんぷらは・・・ 鴨せいろはよかった。

アメリカン・ニューシネマって

 

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昨日は午前中ワクチンの2回目。1回目と同じ看護婦さんだったけど、目が少し怖く?前より少し痛かった。

 午後は大学で授業。13回目。学生はごく少ない。でも前の方で熱心に聞いている女子学生がいて少しうれしい。 授業の最後の方でスマホの呼び出し音が大きく鳴ってとまらない。テニスコートからだった。ネットを締める道具が僕のうちにあるのだけれど、それを使いたいという連絡だった。

 帰ってくるともう次の14回目について考える。アメリカ映画についてやるつもりだけど、文学の時と同様に映画史にしないで、1960年代のアメリカン・ニューシネマを中心にやろうとほぼ決める。その前後の1950年代の戦後の繁栄とその背後のマッカーシー旋風のような動きが映画にも反映している。60年代の後の1970年代もディレクター・システムのような動きも考えてみたい。しばらくはその事を調べて書くようになりそう。

 今朝はテニス。ワクチンをうった翌日にテニスをする人はいないようだ。少なくとも翌日は休む。それを聞いて怖くなり?帰宅して、シャワーとビール。午後は漱石本、ふろ場の修理の人が来宅。これからかみさんと自転車で発寒の蕎麦屋へ行く予定です。「毘沙門」といって琴似工業高校のすぐそばのようです。

 写真はタイトル「7月の菜園」。今年はレンガを土の上に載せるだけではなく、地面と同じ高さに埋めると本格的?に見えてきました。

漱石作品の兄と妹

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 『虞美人草』(明治40年、1907年)の藤尾と異母兄の甲野欽吾、甲野の親友の宗近一と妹糸子。『三四郎』(明治41年、1908年)の三四郎が憧れる(翻弄される?)美禰子と兄の里見恭助、美禰子と相愛?の野々宮宗八と妹のよし子。『それから』(明治42年、1909年)の代助の友人菅沼の妹の美千代。『行人』(1913)の一郎と二郎の妹のお重。『明暗』の津田の妹のお秀。漱石の作品には妹がたくさん登場します。

 主人公である帝大生やその卒業生である高等遊民または学者の妹、または友人の妹。それは明治時代後半の、いや昭和になっても見合いを旧臘だと忌諱し、でも積極的な恋愛の場はないので、友人の妹は家柄の点でも人柄を知っている点でも絶好の恋愛→結婚の相手だと思います。それと長男への家督の相続と家族への支配か離別の問題と、友人の妹または兄の友人との関係が繰り返される。

 ファムファタールとして有名な『虞美人草』の藤尾は作者の意図に反して人気が出たと言います。積極的に男性に近づきますが、相手がもともと無言の約束のあった恩師の娘と結婚せざるを得ない。これも学資などの援助を受けた恩返しともお金に縛られたとも言えます。また藤尾の母は血のつながらない息子の欽吾が相続した財産をあてにします。つまり相続は家督と財産の両方が絡み、女性は父か兄か夫か息子の財産に依存しなければならない時代の不公平さを感じます。

 『三四郎』の美禰子は三四郎に好意を示し、野々宮との結婚の可能性を残しつつ、兄が結婚するので家を出るべく別の男性と婚約をします。それは結婚した兄の家に残る妹の生活の束縛と制約を嫌ってのことだと思われます。結婚した兄の家での妹はよくて?小姑、実態は食客、居候、掛人にならざるをえない。『行人』(1913)での妹お重もしきりに早く結婚をして家を出るように言われます。逆に家を出たら、『明暗』のお秀のように兄の津田をお金や妻(兄嫁)への甘い態度のことで責める事も可能になります。

 『行人』(1913)のお重については、ついまた小津安二郎の『麦秋』の紀子の事を連想します。兄が家督を相続し家長となったら、妹には居場所がなくなるという事実。ま、家が広ければ隠居した老夫婦も、兄弟も住み続けることは可能だろうけれど。また紀子は兄嫁と仲良くやっていける性格の良さと聡明さがあったのでしたが。ここでも兄の友人と結婚するルーティンが繰り返されています。

 そしてそれが1900年代初頭と1950年前後も変わらない結婚の習慣があったのだと気づきます。じつはかみさんの両親(昭和元年うまれと7年生まれ)も、お義父さんが大学の友人の妹を見染て?結婚したのでした。ちょうど1950年前後、しかも岳父と友人も帝大生でした。じゃなくて時代的には東大生か。

 写真は白い花のユーフォルビア、肉料理に合うローズマリー、葉の色が変わるハツユキカズラです。

身体性とポップ

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 あさっての授業で「身体性」 について取り上げます。ただ自分が関心があったのと学生にも考えてほしいテーマですが、まだ自分の中で整理しきれていない。教えるのが難しい段階。それで普通ですが「精神と身体」、「身体とメディア」、「身体と音楽」というような別なテーマと関連付けて考え行こうと。でもまぁ、この組み合わせ自体もよくある「身体論」の組み合わせなのですが。

 で「つかみ」として先週やったジャズと身体性、そしてだいぶ前にオンラインでやったロックと身体性からはじめると学生にはわかりやすいかなと。実際アフリカ的な起源を持つジャズの身体性、R&Bから誕生したロックン・ロールの身体性って説明しやすいです。その前のアメリカの白人のポップスって、croonerと言われるスムースでなめらかな歌い方をする歌手の事で、ビング・クロスビー、シナトラ、パット・ブーンなどかな。

 でもそういう歌い方では表現できなくなった白人の若者がプレスリー。彼自身がメンフィスの黒人教会の音楽を聴いて黒人のゴスペルの歌い方ができる、しかもその派手な動きのパフォーマンスは黒人歌手もすごいって言っていました。ロックン・ロールでも黒人的なリトル・リチャードのTrutti Fruttiをパット・ブーンがカバーしている映像では、ネクタイを緩めていましたが、それが彼がロックン・ロールの曲を歌う時のロックン・ロール的な振る舞いとしてギリギリ譲歩できるところだったのでしょうね。

そしてポップ・カルチャーの身体性に対してハイ・カルチャーの非身体性というか、精神性と知性に向かう傾向が次の課題になりそうだが、これはけっこう難しそう。クラシックvsロックやジャズ、伝統的な絵画vsアクション・ペインティング、文学vs漫画/アニメなど。こんな二項対立的な問題の立て方って、それ自体ちょっと問題かもしれません。このあたりもう少し考えないと。

 昨日は初めてのラジオ体操の後、公園のごみ拾いをして、JR札幌駅前の歯科に差し歯の直しに行って、11時に向けて「チャイナ・パーク」に行ったのですが、酒類はまだ準備をしていない。安くておいしい店なのですが、ちょっとルーズです。それでまたホテル・オークラの「桃花林」へ。

 ビールをチェーサーに紹興酒を飲むんですねと言ったウェートレスの女の子はいなかってけど飲みました。ランチ「楊貴妃」が割とよかった。前菜はちょっとしょぼかったけど、オクラとシイタケの素揚げ、ポークのこれも酢豚っぽい素揚げ、そして冷麺が麺とスープがおいしかったです。飲み終わった頃に例の女の子が出てきて、今日は飲まないんですかと聞くので、もう飲んだ後なんだと言うと、休憩中で失礼しましたと丁寧に答えてくれました。

初めてのラジオ体操

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 土曜日の夕方は円山のカジュアル・フレンチ「シュクレ」でかみさん姉妹と相方とゲスト1名の計9名で貸し切り。5時始まりの早めのディナーは7時か8時に酒類提供を終えるためか。

 ゲストはかみさんのお姉さんの日産時代の友人が60近くなって司法書士に挑戦して合格しての修習をあえてともだち(お姉さん)のいる札幌で、しかもS藤家の円山の実家で1か月半過ごしたようだ。そのおかげでトイレを改修した。

 さて今日からまん防解除で、山の手コートは管理人のK田さんがコートをオープンしました。実はそれとラジオ体操を見に行ってきました。北海道神宮というか円山公園での体操が有名なようですが、山の手公園の方が近い。自転車で5分。6時過ぎに到着。

 まだあまり人がいない。油絵を描いている人と雑談。アクリル・ガッシュという絵の具のようです。話していると西高の4期先輩でした。パレットや道具が手作りでほほえましい。

 そのうち、人が集まりははじめて6時半開始。準備運動~第1~第2とけっこう老体には厳しい。前にいるスリムなおばさん(おばあさん)は体がやわらかい。何とか終えて(りょほう合わせて10分ちょっとかな)、テニス・コートを見ると錠をあけていました。もう一人のテニス仲間のI田さんも体操に参加していました。僕が60人くらいいましたねというと、90名いましたと。数えたらしい。それも河畔公園にそって広がっているので、たくさんいてもまばらに見える。また来よう。

言葉の呪縛

 「コロナに打ち勝つ」という首相の発言は、もう国民のほとんどが信じないむなしい言葉として記憶されるだろう。そもそも疫病に打ち勝った歴史はない。疫病は多くの死者を出し、猛威を振るって去っていくだけだ。そこには勝敗という二項対立の古いというか頭の固い老人の頑固さだけがきわだつ。

 考えてみれば「コロナに打ち勝った証としての五輪開催」と言ったのは、体調不良で政権をさっさと去っていった(放り出した)A前首相だったはずだ。でもたぶんA前首相だったら、あまり自分の発言にこだわらなかったとも想像する。もともと思い付きで軽く発言する坊ちゃんだったから。軽いから2度も政権を放り出し、剰え(あまつさえ、この表現を使ってみたかった)3度目の政権を目指しているとも言われています。

 ところがS現首相は、あまりきちんと考えてこなかったはずなのに「コロナ禍の五輪」に拘っています。責任のあり方についてきちんと考えていないので、「コロナ禍の五輪」を遂行するという昨年レベルの言説に自ら呪縛されている。昨年と違う今年のレベル(コロナの感染の拡大、変異株の出現)との違いに目をやらず、一度言ったらその言葉を守るというところにたぶん責任を限定的に考えている(思い込んでいる)だろうか。

 深く考えた上でその言葉に呪縛されるのなら少しは同情の余地があるけれど、あまり考えず気分で何となく発言したようなので、それならA前首相のように無責任に放り出す方が、S現首相のように固執して国民に迷惑をかけるよりもいいくらいだ。そして「勝敗の二項対立」の方も、あまり考えないで「勝つ」ことの意味を肯定的に考えてしまう。勝ち負けに収れんしない事柄の方が現実世界では多いのだという事。スポーツや数字の記録のように明示的に順位や勝敗が決まらない事のすっきりとはしない結果とその意味をそのつど考えて、自分の思考の引き出しにしまっておくという訓練や習慣のない人なのだろうか。世界は白と黒ではなく無限のグラデショーンの灰色でできているという認識を持たない人なのだろうか。

 しかも五輪で感染が拡大したら責任の取りようがない。そういう場合に感染拡大は五輪のせいではないとか五輪のせいだけではないと言って責任を逃れるのだろうか。うまく行ったらそれ大丈夫だと言ったでしょうと自画自賛するのか。いずれにしてもミニまたはプチ独裁政権によるあまり賛成のできないお祭りが始まる。と言っても札幌でマラソンが開催されたら,見に出かけるかもしれない身勝手な老人(僕の事です)の発言でした。

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 写真は身勝手な老人のある夜の晩酌のお供。生協で買った餃子(皮が厚くてオイシイ)とビールの後の焼酎(泡盛)の後のウォッカウォッカは最近は痛風がこわくて?ロックに少し水をたして飲んでいます。するとこくはないけれど飲みやすくて量がいってしまいます。

何が大事なのかな

 木曜日に非常勤先の北海学園に行く途中、幼馴染のN田君に偶然会った。地下鉄東西線の大通り駅から東豊線に乗り換えようとした連絡通路で、あれっと思い二度見して分かった。今はマスクをしているのでわかりずらい。帰りのバスでは近所のI藤さんが乗ってきたけどこちらを認識できていないようだったのですが、僕の方でもあえて声をかけないですましました。

 授業前に教務センターのS君にネットワークにつなぐ作業のお手伝いをお願いしていたので、非常勤講師室で会って教室に向かう。教えてもらってミスの原因が分かった。ぼくのやっていたのは、自分のノートで学内無線LANのセットアップをして、それでつながるけれど、ログアウトをしていなかった。セットアップについて教員ハンドブックを細かく調べて準備をしたつもりだったのですが、それは必要なかった。ただスタートバーの右にあるネットワークのアイコンをおして、学内ネットワークに接続し、次の画面でログインすればいいだけだった。接続して使用後「切断」はした方がいいけれど、ログアウトは必須のようでした。

終了後、非常勤講師室の向かいの印刷室にS石さんがいたので、しばらく雑談。事務の女性ですが、もうすぐ退職とか。あとでメールをくれて詳しい近況を教えてくれた。テニス仲間で飲み仲間だった人で、3人の子育てを終えてほっとしたようだ。今はゴルフにこっているとか。

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 今週の事件。今年公園入り口の背の高い木の上の方にカラスが巣を作りました。それがひなが飛ぶ練習をしているようなので、そのために人が被害に。数羽のカラスに人が襲われて、転び、起きて逃げてい行くのをさらに襲っていくのを火曜日に初めてみました。それも2~3件も。このように複数の事例を見ている者の責任?として西区の土木センターに報告しました。電話を受けた若い女性はまぁ、ちゃんと受けてくれましたが、今の若い人の特徴なのか、礼儀正しいけれど、心がこもっていない受け答えでした。

 でその結果が写真です。まるでカラスのひなの飛ぶ練習を温かく見守りましょうとでもいいたげな、かわいらしいポップな字体で。カラスが勝手に巣を作って勝手に子育てしてもいいけれど、そこに住んでいる人や通行人に被害を及ぼすのなら、そこはもう少し被害者よりのスタンスで注意喚起をしてほしい。厳密にいえば日本語も正しくない。何よりも動物にやさしくという言い訳で、人の側の譲歩を強制している点です。かみさんもこれには少し怒って、匿名で?電話をしていました。

 実は僕も市の広報というか関係部署に、市営のテニスコートの一律閉鎖に抗議のメールを送りました。すると担当者から電話があって市の事情を説明してくれました。このようなクレームに対応する人ってホントに穏やかに話をする人が任に当たるんでしょうね。僕はこういう対応に弱い。その後メールでも同様の説明がありました。けど納得はしていません。理由については前にも言ったので。