A Child Is Born

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  友だちに二人目の孫が生まれた。予定日が過ぎていたので心配していたのですが、良かった。

 サッド・ジョーンズの名曲にA Child Is Bornがあります。ギターのケニー・バレルGod Bless the Childで演奏しているよう。このアルバム・タイトルも子供の歌ですが、内容は少しシビアかも。ビル・エバンスQuintessenceというアルバムやっています。

 昔ベースの鈴木勲が娘が生まれた時に『あこの夢』を出しました。ミュージシャンや詩人は子供が生まれた時に曲や詩を書けるけれど、作家や映画監督は難しいかも。画家は幼子の肖像画を描けるかな。

 コロナで鬱陶しい時に、新たな誕生のニュースはうれしいですね。

 

チック・コリアとリズム

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  チック・コリアと言えば1968年のNow He Sings Now He Sobs。1曲目のSteps-What Wasのスピード感とミロスラフ・ヴィトスのベースとロイ・ヘインズのドラムスのタイトなリズム。演奏中盤のドラム・ソロの後にベースに導かれるように始まるチックのピアノのフレーズが単に前へ進むのではなく、12音階をジャズに翻訳したとも言える横にずれながら前進するようですごい。

 1971年のPiano Improvisation vol.1はクリアでシンプルなソロが清新で、その後多くのジャズ・ピアニストがピアノ・ソロに挑戦するきっかけとなりました、

  チックは元親分のマイルスと同様に変貌の多いミュージシャンと言える。たぶんジャズというジャンルが揺れ動いていた時代でその事に自覚的に音楽を作ろうとしていたミュージシャンだったからでしょう。アンソニー・ブラクストンとサークルというニュー・ジャズのグループを結成。そして一転してニュー・エイジを志向すようなReturn to Foreverを発表する。

 1972の日本のジャズ喫茶を席巻したこのアルバムは、あまり始終かけられるので、またかとお店を出ていくひねくれた客もいました。でもスタンリー・クラークの切れのいい音とフレーズ、そしてチックのエレクトリック・ピアノがよかった。エレピはコードが濁って聞こえる事が多かったのですが、チックの場合、タッチがいいと言うかキーから手が離れるスピードが速いので、エレピがきれいに聞こえます。

 チックは出自がラテン・アメリカ(たぶんヒスパニックと黒人の混血だと思います)なので、頭の中でそのリズムが聞こえながら、フレーズを弾いているような、体にラテ的・黒人的リズムがしみ込んでいるというか。

 1960年代にジャズ・メッセンジャーズの一員として来日した時の、アイビー・ルックの写真を覚えていたのですが、残念ながらネット上では見つかられませんでした。

中野翠の『小津ごのみ』を読む

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  中野さんんについては以前から林真理子がらみでと、週刊『文春』の映画欄(シネマチャート)で注目していました。

 実は今回も坪内祐三絡みで。かれのエッセイスト仲間。年は思っていたよりも上で1946年まれです。僕は坪内さんと中野さんの中間。それで彼女の文庫も少し読んでみました。早稲田在学中は社研(社会科学研究会と言ってあちこちの大学に、たぶん西高にもあったような)にいて、同じ部室に文学研究会のメンバーである評論家の呉智英がいたらしい。その頃の事が『あのころ、早稲田で』(2017年文春、2020文庫)で読めます。

 それとあの橋本治との対談『二人の平成』(ちくま文庫)を出している。これはkindleで読みましたけれど、いまいちだった。二人の波長は合っているのだけれど、読者が置いてけぼりにされてしまう。でもあの橋本治が彼女のエッセイを読んでいて評価しているというのがすごい。実はけっこう読んでいた内田樹橋本治と対談していてこれは、橋本の方が内田に関心がないのかこれも不発でした。

 そして『小津ごのみ』、面白い。いい意味で女性の視点が生かされています。服装やインテリアの好みがクラシカルでモダン。言葉つかいやモラルが江戸と地続きだった東京。庶民のリアリズムではなく、中産階級の家庭劇で表現される人生と時間の豊かさと虚しさが、具体的に指摘されて、とても面白いです。

 それとイラストが中野さん本人で、着物の柄だけでなく、障子やふすまのデザインが屋内の雰囲気を決め、それがいわゆるリアルではないけれど、小津監督のこのみ≒意図を表現しています。アーノルド・ウェスカーというイギリスの劇作家が小津映画をモンドリアンだと言っているそうです。そうか、あの格子模様のデザインのシンプルな抽象的な明るさが、何か寂しさと虚無とつながるようにも思えます。

 関連して『小津安二郎 生きる哀しみ』(PHP新書)を買ったら、著者は札幌の女子短大の先生でした。でも僕と同い年だからもう定年かな。

ストリートワイズ 街に生きる

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  昨年1月に61才で亡くなった坪内祐三さんの本を読み続けています。もともと家にあった『古くさいぞ私は』(晶文社、2000)、『文学を探せ』(文藝春秋、2001)、『変死するアメリカ作家たち』(白水社、2007)に加えて、『ユリイカ』と『本の雑誌』の追悼号やデビュー作『ストリートワイズ』(1997年晶文社、2009年講談社文庫)や『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』(マガジンハウス、2001、講談社文芸文庫、2021)を購入して読みました。

  東京生まれの坊ちゃんが十代の頃から神田に入りびたり、早稲田の英文科を卒業、大学院の修士を出て編集者になる。福田恒存の知己を得、山口昌男の古書渉猟に付き添い、文学・文化全般の雑文を書いて亡くなったストリートワイズな書き手だった。

 Streetwiseのwiseは知恵ではなく、otherwise, clockwiseの用法にあるようにway, fashionという意味で、「街で生きるすべを持っている」という意味です。つまり、街的感覚を持った、街に生きる書き手だった。と言うのは、『変死するアメリカ作家たち』では夭逝したデルモア・シュワーツやナサニエル・ウェストなどはともかく、もっとマイナーな作家まで取り上げてくれて勉強になります。しかしどこか洋書店でみつけた資料の紹介のような部分もあって、アメリカ文学の研究者のような、そうでもないような。

  それが『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』の方は、慶応三年生まれ「の漱石と子規の関係、幸田露伴尾崎紅葉などの坪内さん得意のジャーナリズムと文壇との関係など面白い。やはりアカデミズムよりストリートの似合う書き手なのかなと。思想とか理念よりも、日常を生きる生活の感覚が優先する意識・世界観の人。

  それと『ユリイカ』での浅羽通明の追悼エッセイが面白い。『野望としての教養』がずいぶんと参考になった浅羽さんの「SF嫌いの矜持と寂寥」で、全部とは言わないけれどアイデアで勝負できるSFは、東京生まれの東京のストリート(古書店、飲み屋、映画館、劇場、テント、国技館など)を熟知して主戦場としていた坪内さんのストリートワイズな感覚と会わないだろうなと想像できます。

  僕もずっとミステリーは好きだけれどSFが苦手なのは、ヴィジョンやアイデアが先行するジャンルだからだ。街のディティール(歴史、匂い、佇まいなど)、登場人物の表情や言葉使いなどが歴史を背景として描写されるのが重要だと。人と人とのつながりから生まれて来る物語(葛藤、共感など)を掘り下げるよりも、さらに横につなげていく。『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』はまさにそうで、同年生まれの作家・学者たちに共通する匂い、また違っていてそれが面白いストーリーを生み出す事に関心を抱くメンタリティ。地底に降りるよりも、地表で、ストリートで広がる物語に関心を持っていた作家の様に思えます。

カウリーとラウリー

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 昨年1月に亡くなった坪内祐三さんのエッセイに、マルコム・ラウリーとマルコム・カウリーの区別もつかないと言ってある編集者にいちゃもんを付けるエピソードがあります。このY原という編集者、一時期才能はあったけど晩年あれて有名な作家の生原稿を売ったというスキャンダルも聞こえてきました。実はこの編集者の方が先に坪内さんにいちゃもんを付けて、それに対抗して言った言葉です。早稲田の英文の大学院も出た人なので、こう言えるのですが実は僕もカウリーとラウリー、間違って覚えていました。

 ちょっと生意気風な写真の多い6才下の坪内さんの本をいまけっこう読んでいます。

 マルコム・ラウリーの方は1909年生まれのイギリスの作家で、1947年の『火山の下』が代表作で、アルコール依存症もあって1957年に亡くなっています。この小説は1984ジョン・ヒューストン監督で映画化されています。『火山のもとで』が邦題、原作のタイトルがUnder the Volcano

 マルコム・カウリーの方は、1989年生まれのアメリカの詩人、評論家です。日本の英文科では適切な編集と解説の『ポータブル・フォークナー』(1947)が有名。第1次大戦で志願して軍の輸送車(物資、傷病兵など)の運転をして、戦後パリにもいました。この辺りヘミングウェーと同じで、「失われた世代」の精神的彷徨とボヘミアン的生活を経験し、帰国した辺りを描いた『亡命者の帰還』(1934)が代表作です。

 1920~30年代の英米の知識人が影響を受けたマルクス主義への傾倒と、ソ連(特にスターリン)への失望、にも関わらず戦後マッカーシー旋風の被害にあった点など20世紀前半の疾風怒濤に巻き込まれた人たちの一人がマルコム・カウリーでした。僕と同い年の元京大教授の前川さんが書いた『アメリカ知識人とラディカル・ヴィジョンの崩壊』でもその辺りがよく分かりました。そしてこれも有名なマシ―セン(1902‐1950)の悲劇も。僕ら的には『アメリカン・ルネッサンス』(1941)が必読で、1950年代のホーソーンメルヴィル、エマーソン、ホイットマンなどを論じていました。政治の季節の中で、優秀な文学研究者が自殺したのは元マルクス主義、同性愛への偏見、戦後の規範の混乱の中での事なのだろうと想像しますが、痛ましい。

モフェット一家

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  チャ―ネット・モフェット(1976年うまれ)の1987年のアルバムNet Manを聞いた時は21才のベース奏者のアルバムとは思えませんでした。曲も演奏もいい。曲のメロディーとリズムのバランスもいい。それもそのはず17才でウィントン・マルサリスのバドの加入し、ブランフォード、トニー・ウィリアムスのども共演している早熟の天才と言われていたようです。

 さてモフェットというちょっと変わった苗字には聞き覚えがある。オーネット・コールマンストックホルムでのライブ『ゴールデン・サークル』(1965)のドラマーがチャールズ・モフェットでした。オーネットのアルトやヴァイオリンやトランペットの自由な(気まま?)な演奏の背後で意外とステディなリズムを刻んでいて、だから中途半端なニュージャズ・ファンである僕にも興味深く聞けたと思っていました。

 そのお父さんが1989年のBeauty Withinではドラマーとして参加していて、パワフルでかつセンスのいいドラムを披露してくれています。このアルバムも曲のメロディとリズムと演奏がいい。盟友のケニー・カークランド、ケニー・ドリューJRのキーボードもいいです。いいアルバムは気分がいい時はそおの気分をさらに高めてくれますし、不調の時は慰めてくれます。

 このハンサムな青年が中年のおじさんになりましたが、ファラオ・サンダースを迎えたアルバムは注文して、配達中です。

程の良さ

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  イギリスのミステリー作家コリン・デクスター(1930~2017)のモース警部シリーズを再読しています。

 関連して『推理作家の家』(南川大三郎、西村書店)も再購入して作家の家や書斎などの写真を楽しんでいます。日本の作家の『作家の家』、『作家の住まい』も。

 モース警部の生みの親はケンブリッジ大学卒業後、グラマー・スクールの教師、オックスフォードの委員会の初期などを務めて45才の時に『ウッドストック行最終バス』でモース警部を登場させて12作書き続けます。僕も頑張って?昨年か去年に全部取り寄せてモース警部の最後を見届けました。

 そしてまた最初の作品を再読していますが、何となく推理や警察のあり方、犯罪の暴力性など1970年代のイギリスの雰囲気を感じさせ、それはアメリカと違う、また直近の現代イギリスとも違うのんびりとした程の良さを感じました。作者自身の経歴、雰囲気もそうです。大学はエリートですが、その後の職業はそうでもないようです。それがいい感じに作品にも主人公の性格造形に出ている。

 でも独身のモース警部はアル中に近い酒好きで、下品ではないけれど事件関係者の若い女性とデートをするなど日本では考えられないほど、進んで?います。場所はウッドストックというオックスフォードの北隣の町で、有名なコッツウォルドにも接しています。オックスフォードは1983年にロンドンに初めて訪れた時に、在ロンドンの大学時代の友人とその幼い長男と行きました。その後1997年にはやはりロンドンに4カ月ほど滞在した時にかみさんとはオックスフォードよりもさらに北のストラットフォード(アポン・エイヴォン)にシェークスピアの生家を訪ねて行きました。ロンドンから1時間半くらいだったような。

 さて『推理作家の家』でのデクスターはいくつかの写真でパイント・グラスを持って、執筆の机の上にもワインのボトルとグラスがあり、また南川さんとのインタビュー―の後も近くの川沿いのパブで飲んだりと、いい意味で酒好きなのだなあと、そのグラスを持った小太りの体と笑顔を含めて感じました。