年末の教養小説

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 井上靖の青春小説三部作『しろばんば』~『夏草冬涛』~『北の海』から下村胡人の『次郎物語』(5部作、未完、新潮文庫で上中下巻)に進んでしまいました。現在中巻を読了。

 児童文学、青春小説、教養小説と名称がいろいろあるのは、扱っている主人公が子供(就学前、小学生)だと児童文学、中学に進学して大正時代の旧制中学だと現在の中学~高校にあたるのでこれなら青春小説、そして中学から高校に進学する大人への道を進む教養小説となる訳です。

 教養小説はよく知られているようにドイツ語のBildungsromanの訳で人間をbuild、作り上げていく過程を描く人格/人間形成小説とも言われます。まさに年代は少年から青年期に当たる。いかにも真面目なドイツらしいですが、その点では日本も類似していて徳富蘆花の『思出の記』、漱石の『三四郎』、鴎外の『青年』、そして『次郎物語』、山本有三の『路傍の石』、『しろばんば』と続く訳です。

 『次郎物語』は小さい時に里子に出されて戻った実家で祖母と母にいじめられる物語として有名で、戦前から日活・新東宝・松竹、そしてNHKなどで映像化されています。血のつながった祖母や母に疎んじられるけれど乳母には溺愛される点は『しろばんば』の主人公とも共通していて、家族の意味を考えさせられます。

 中巻では中学の敬愛する先生が軍部に批判的な言動をして辞職させられ、次郎はそれに抗議してこれも退学させられます。これは上巻からもそうですが、かなり次郎や友人、時には父親も家族とか人生とかについて、ちょっと青臭いとも言えるような真面目な思索や議論を展開して、明治後期から大正にかけて熊本第五高~東大に在籍した作者の時代が影響していると思います。

 教養小説を読む真面目な年末でした。でも毎日年末の買い物のお手伝いもしています。

不安

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 先週から喉のあたりに少し違和感があって、長いあいだウィスキーやウォッカなどきついお酒をストレートで飲んできたせいかなと自己責任的な諦め的な気分です。年が明けても変わらな行ければ、病院に行こうかなと。

 ここでも時々書いている「こうや」という店のこうやさんもけっこう店で呷って飲んでいました。60になる前に食道がんで亡くなったのでした。

 そんな気分で昨日は大丸セントラルに注文していた年賀状を受け取り、25日ぶりに「チャイナ・パーク」でランチ。かま栄の紅白のかまぼこや、義姉へのお礼のワインとチーズを買って帰宅しましたが、いろんな風景が愛おしい?これって重病で瀕死の病人の心象か。すぐに被害者意識過剰で大変な人の気持ちに勝手になってしまう悪い癖です。

 ランチでビールと紹興酒を飲んだのに、帰宅してまたビールと紹興酒。これって少し自滅的破滅的なアル中ライフを演じているような。そのせいで午後にはおなかの調子が悪くて、本当に久しぶりに夕食抜きでした。もちろんお酒も。で、今は年賀状を書きつつ、いつ頃に朝昼兼帯の食事(とお酒?)を取ろうかと画策しています。

 写真は戦後活躍したヘレン・フランケンセーラーという抽象表現主義の女流画家の「山と海」という1952年の作品。僕の生まれた年です。

初めて

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 知り合いから柚子をもらったので、初めて柚子湯(風呂)を作りました。作り方は柚子の実をまるまま入れる、皮を少し削って実を入れる、皮を削ってそれをネットに入れて作るなど。うちは皮を少し削って実を入れる方式を採用しました。ほのかに香って年末の気分が高まります。

 昨日はクリスマス・ケーキの代わりにロール・ケーキを買おうと円山の「パール・モンドール」まで行ったのですが、ちょうどクリスマス・シーズンだけロール・ケーキは作っいないと言われ、やむなくフルーツ・ロールのカットとチョコレート・ケーキとサバランを買って帰りました。

 いまUKジャズを2枚ほど買って聞いています。ヌビア・ガルシアという黒人女性サックス奏者のSourceと黒人男性テナーのシャバカ・ハッチングスのWisdom of Eldersというアルバム。UKジャズについて調べるとけっこう難しい。

 もう1枚追加で注文。イギリス出身の黒人サックス奏者コートニー・パインの率いるJazz Warriorsのアルバムです。コートニー・パインは南アフリカの黒人ピアニスト、ベキ・ムセレクのアルバムにも参加していました。アフリカ的なジャズがよくて愛聴していました。

 さてUKジャズを考えると、ジャズと言うジャンルがいわゆるジャズ・ファンが考えるような未来はないように思えます。悲観的ではなく、ジャズという確固としたカテゴリーは1890年代くらいで終わって、その演奏技術やアドリブは他の音楽ジャンルに使われたりして、ジャンルの境界は薄まっていった。消滅しないまでも。そしてジャズをさらに推し進める動きはあまり多くない。最近50ちょっと前で亡くなったロイ・ハーグローブが1999年代からやっていたジャズ、または彼がジャズと並行してヒップホップなども取り入れていた音楽のその流れが当てはまるかも知れない。

 でUKジャズがある種ジャズの未来形になり得るかな。でもコアなジャズ・ファンは否定するだろうと。そんな関心のない人にはどうでもいい事を真面目に考えると頭が痛くなるけれど、そんな事をのんびりと考えると老化防止にいいかなと。

年末の買い物

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 12年使ったテレビの画像がついに映らなくなった。それで実家の大掃除の手伝いに行ったかみさんとビックカメラで待ち合わせて、テレビのところへ。

 東芝のREGAZAの42インチだったけれど、すこし大きな45インチくらい買おうかと思っていたのですが、50や55インチに目が行く。10畳くらいの居間なので55がベストか。値段も12年前は23万円だったのが18万くらいで買える。あと10年以上は使うし。

 詳しい店員さんに話を聞くと、パナソニック有機EVが画像と音もいい。値段も23万くらいだけれど、3万くらいキャッシュバックもあり、ポイントも後でつかえば18万くらいの実値段となりそう。でも30分以上説明を聞いて、過/多情報で頭がくらくらしたので、夕食で頭を冷やそうと。

 アピア(JR札幌駅地下)の「牛タンの利久」で極み牛タン定食を注文。久しぶりの牛タンけっこう美味しかった。付け合わせの漬物もサラダ感覚で。テール・スープの長ネギもヘルシーです。

 仙台に学会や研究会で通っていた頃、駅構内に牛タン通りがありました。僕は駅から歩いて牛タンの名店「伊逹」や「儀助」(だったかな?)に行った記憶が。2011年の6月に行った時は、空港から市内に向かう道路わきに地震でおしゃかになった車が積み上げてあったり、空港の待合室もせまく、レストランなどは閉鎖中でした。

青春小説と郷愁

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 井上靖の『夏草冬濤』(なつぐさふゆなみ、新潮文庫)というタイトルをアマゾンで見かけたのがきっかけで、三部作を文庫で購入して読みました。

 『あすなろ物語』が有名ですが、その自伝的青春小説の詳細な展開が『しろばんば』~『夏草冬濤』~『北の海』で、『北の海』は今回初めて読みました。

 十代の頃だと思いますが、二十代だったかも知れません。『夏草冬濤』というちょっと変わったタイトルの小説を単行本で持っていた記憶があります。表紙や装丁の記憶もあり。1907年(明治40年)生まれの小説家の大正初めの少年時代の描写と物語が面白かったのだろうか。

 軍医の父親を持った井上は旭川に生まれますが、すぐに父が韓国に転勤したので母の郷里の伊豆の湯ヶ島で祖母に育てられます。この両親と離れて、祖母(本当は血のつながらない、曽祖父の妾)に育てられる環境が洪作(主人)のある種自由な、気ままな、ちょっと茫洋として大きくも見える性格を形成します。

 つまり両親の監督(監視、支配)のない、でも代々医者の名家の息子として敬意を払われる主人公。血のつながらない婆さんのある意味で人質のようでもあるけれど、十分な愛情も注がれる。普通の家庭生活を営んでいない少年が普通の少年の読者には新鮮に思えたのかも知れません。

 『しろばんば』では小学校卒業まで、『夏草冬濤』では秀才だった洪作が中学の1年上の文学やスポーツに秀でた少年たちと交流する時代。タイトルは気の合った者同士で、故郷の夏や冬を満喫したという意味の様です。この作品が気に入ったのでした。

 で続編の『北の海』では柔道に熱中して、金沢の第四高等学校の柔道部の練習を見学に行く。最後は台北にいる両親と弟妹の元に合流する船の旅です。その後第四高等学校に入学し、九州大に入学するも中退して京大に入学して卒業します。京大の教授のお嬢さんと結婚するので、優秀なのか女性にもてるのか要領がいいのか?

 戦後は43才で『闘牛』芥川賞受賞。『風林火山』、『淀どの日記』などの歴史もの、『敦煌』、『楼蘭』、『蒼き狼』などの中国の西域ものが有名ですが、僕的には少年時代を描く青春小説がこんな自由な少年時代を過ごす事ができたらいいなぁという願望と、自分の少年時代と少しは重なるものがあるとしたら郷愁をかき立てられるのか気に入っています。

 写真は唐仁原教久という2才上のイラストレータの表紙で、これもいい。

ハービー・ハンコックとポスㇳ・ハードバップ

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   ハービー・ハンコックというとMaiden Voyage (1965)がタイトル曲の「処女航海」の美しいハーモニーとリラックスしていながら同時に旅立つ時の期待が表現された清新な演奏が印象的でした。1963年から加入したマイルス・バンドと同様のモード的なアプローチもよく分からないなりに魅力的だった。いま考えると知的、ロジカルで静かなパワーが感じられた。

 しかし今回初期のアルバムを聞き直してみるとデビュー作のTakin’ Off (1962)と2作目のMy Point of View (1963)にはハードバップの香りがする。当然と言っていいのですが50年代後半から60年代前半はハードバップ

の時代で、以前もこのブログで2015年頃に書いて本にも収録したのですが、僕的な定義ではビーバップの熱狂と喧噪の後に、クール・ジャズまたはウェストコースト・ジャズのように若干静か目で、アレンジの効いたジャズが主流を占めました。すると今度はまたそれに飽きたらずというか揺り戻しというかビーバップに本家帰りした黒っぽい、しかしウェストコースト・ジャズの時代を経た痕跡も含めたハードバップが出現します。

 このTakin’ Off (1962)と2作目のMy Point of Viewのメンバーと演奏も、いい意味で成熟したハードバップ、そして次の段階の予兆も感じさせる演奏でした。先輩の管楽器を立てつつ、自分のピアノもきちんと主張する。ハードバップ~ポスㇳ・ハードバップ~モードへ向かうジャズの変貌をハービー・ハンコックは自分のアルバムとマイルスのアルバムで見せてくれる訳です。しかしほんのちょっと後輩のチック・コリアキース・ジャレットにマイルス・バンドのキーボードの位置を譲り渡すと、今度はジャズ・ファンクの道を切り開き音楽的・商業的には一世を風靡しますが、ジャズ・ファンはあまり評価しないような気がします。僕もファンクには興味がありますが・・・

ジョン・ル・カレとスパイ小説の系譜

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  つい先日なくなったジョン・ル・カレを知ったのは『寒い国から帰ったスパイ』。1963年の原作が1965年には映画化されました。しかしジェームズ・ボンドの華麗な?スパイ映画の方に中学生は惹かれてしまいます。

 『寒い国から帰ったスパイ』は時々スター・チャンネルで見ますが、やはり暗い。意図的に白黒でリアルに描こうとしているような気がします。監督のマーティン・リットは『寒い国から帰ったスパイ』の前後に『ハッド』(1962)、『太陽の中の対決』(1965)とポール・ニューマンを主演にリアルな西部劇を撮っていますし。

 ジョン・ル・カレのスパイ・ミステリーはイギリス人の英語の先生も難しいと言っていました。文学的なのでしょうが、そのような情報部員の経験のある文学の方面の作家の系譜は、サマセット・モームの『アシェンデン』(1928)、グレアム・グリーンの『密使』(1939)と続いていました。

 特に文学的に限らなければ、第1次大戦直前に書かれたジョン・バカンの『三十九階段』(1915)が現代スパイ小説の嚆矢と考えられ、第2次大戦ではエリック・アンブラーの『あるスパイの墓碑銘』(1938)、『ディミトリオスの棺』(1939)がリアリズムと冒険小説の両面を持った作品と言えます。

 また007に対抗したのはジョン・ル・カレだけではなく『ベルリンの葬送』(1964)、『10億ドルの頭脳』のレイ・デントンも地味目なスパイの実相を描いたと言えますね。主人公ハリー・パーマーの三部作としてマイケル・ケイン主演で映画になり、特に3作目の『国際諜報局/10億ドルの頭脳』(1967)は監督がケン・ラッセルのせいもあって見ごたえのある作品になっています。実は後のスパイ・コメディの『オースティン・パワーズ』はハリー・パーマーのパロディでイケル・ケインも主人公の父親役で出ています。

 さてアンチ・ヒーロー的なスパイの系譜は、ブライアン・フリーマンのチャーリー・マフィンに引き継がれ冷戦終了後もエリート対たたき上げの諜報員の対立/確執は描かれ続けます。僕はこのチャーリー・マフィンが好きで、翻訳・原作を繰り返し読んでいますが、なかなか映画にはなりません。テレビではアントニオーニの『欲望』で主演したデヴィッド・ヘミングスが演じていました。

 また手元にあるジョン・ル・カレを読み直してみたいと思っています。